<追加>
食品安全委員会発表についての意見募集を準備したところ
飛び込んできた厚労省の基準引き下げのニュース。
4月をめどに現在の暫定規制値を1/5にすると言ったって、
食品だけで年間1mSvを前提にしており、
昨夜の発表を受けた形になっています。
1/5になったところで、100Bqもの食品を
子どもたちに与えることはとうていできません。
このような動きをこのまま見ているわけにはいかない…
声を大きくあげていきましょう!!!
10月27日の夜のニュースで突然流れた、驚くばかりのニュース。
7月末までのワーキンググループの検討を経て、その結果が発表
され、「内部被曝外部被曝を合わせて、生涯100mSv」とされて
いたのが、なぜか、「内部被曝のみで100mSv」になったと。
食品安全委員会によって8月2日に開かれた意見交換会では、
座長によって、「内部と外部合わせて」「子どもには配慮が
必要」と明言されていたはずです。
それでなくても「生涯100mSv」という結果に、どうにでも
解釈できるのではという危惧をもった人も多いと思います。
それでも、外部被曝を一定浴びてしまったこの現状を思えば
相当、今よりは厳しい基準、ドイツ放射線防護委員会並みの
基準が導かれる可能性さえある結果だと思われていました。
それが、なぜ、いきなり内部被曝だけで100mSvとなって
しまうのか、訳がわかりません。
それでは、3月以降、大きな被曝をしてしまった子どもたち
への配慮は望むべくもありません。
まして、今の高い線量の中で、線量計をつけて暮らしている
福島の子どもたちの被曝は、無視されてしまうことになります。
外部被曝をしている状況だからこそ、内部被曝を減らすための
徹底した配慮がなければ、福島の子どもたちを守ることは
決してできません。
(詳しくは、報道や発表文書のリンクもありますので、
参考までにスタッフ日記をお読みいただければと思います)
このままでは、この先の厚労省で審議される食品基準が
どのようなものになるか、戦々恐々と待つことになります。
「子どもは食べる量も少ない」と言っている厚労省です。
このままでは、私たちが望む、子どもたちを守るための
食品基準にはなり得ないという思いです。
なぜ、私たちが、子どもたちが我慢して汚染されたものを
食べなければならないのでしょうか。
放射能被害は、震災を機に東電が起こした事故です。
国は、一企業の事故によって撒かれた毒物の摂取を
なぜ、子どもたちにさえ強要するのでしょうか。
国が、自治体が、精一杯子どもたちを守ってくれたら、
親たちは笑って日々を過ごしていられるはずです。
そうじゃないから、必死で子どもたちを守ろうと、
汚染されていない食品を探し、
メーカーに問い合わせては情報を探し、
給食を変えようと行政に交渉し、
会を立ち上げてまで動いているのです。
国は、子どもたちを、妊婦さんや授乳中の母親を、
未来のいのちを守ってください。
そのために、食の安全を確保してください。
確保できるような基準値を示してください。
私たちは、もう黙っていられません。
声を届けましょう。
11月3日のネットワークミーティングの場で
何らかの形で発表し、200名の参加者と共に
大きな声にしたいと思います。
http://kodomozenkoku-news.blogspot.com/2011/10/113.html
ぜひあなたの声を届けてください。
このままでは日本人の体質は低線量被爆で脆弱になり、子孫の繁栄まで危ぶまれます。なのに国は基準値をあげたままごまかし続けてます。日本の未来が亡くなっても良いのか、、。こんな国では希望を持ち子育てできない。食品の基準値はドイツ放射能防護協会の基準値まで引き下げるべきだ。火事の中の子どもをみすみす黙って見ている母親なんていない。政治は命最優先であるべき。
返信削除食品安全委員会 委員長 小泉直子様
返信削除委員長談話には「食品安全委員会として、現時点の科学的知見に基づき、客観的かつ中立公正に評価を行ったものです。」とありますが、当該評価214ページには以下のような記載があります。
「本評価の趣旨に照らせば、本来は、食品の摂取に伴う放射性物質による内部被ばくのみの健康影響に関する知見に基づいて評価を行うべきであるが、そのような知見は極めて少なく、客観的な評価を科学的に進めるためには外部被ばくを含んだ疫学データをも用いて評価せざるを得なかった。」
しかしながら、評価による結論は内部被ばくのみ生涯累積100ミリシーベルトとなっております。貴委員会のいう「科学的知見」「客観的かつ中立公正」の定義についてご教示願います。
真面目に書きましたが、本音は一言
ふざけるな
というところです。いいかげんに国民を愚弄するのはやめてほしいと思います。
最近、家事育児仕事の合間に関係省庁の審議会の議事録やら報告書を読みあさっていますが、主なものは全部残して、歴史の重大な汚点として子供や孫に受け継ごうと思っています。受け継ぐべき子供たちを、なんとしても守りたいと思います。
すいません、書き方が分かりません。意見を書くところのフィールドがものすごい狭いのですが(1行しかない)、これは短い一言を書けばいい、ということでしょうか?
返信削除もうしわけありません。コメント入力欄、長くしました。
返信削除ありがとうございます。
事務局
林加奈子さん
返信削除「火事の中の子どもをみすみす黙って見ている母親なんていない。政治は命最優先であるべき。」
ほんとにそう思います。
危険があるかもしれないとわかれば
自分が危険側に立って守るのが親でしょう。
わからないのなら予防原則に立って進めてもらいたいと心から願います。
一緒に声をあげていきましょう!
匿名さん
返信削除「真面目に書きましたが、本音は一言
ふざけるな」
いや、ほんとにそうです。
時々、どうにもならない怒りや悲しみに襲われます。
この国は、ここまでどうしょうもない国だったのかと。
いや、「政府」「政治」がどうしようもないのでしょうが、
ここでこれでも黙っていたら、国民もどうしようもない国民ということになってしまいます。
黙っていたら賛成と一緒。
声を大きく届けていきましょう!
お願いです。
返信削除日本を、信頼し安心して住める国にしてください。
今年3月に、突然放射能の危機にさらされ、何をどう信じたら良いのかわからないまま、それでも子供を守るために必死に情報を模索しながら、私達子供を持つ親は、一生懸命なんです。
今のままでは、日本という国に対する不信感は募るばかりです。
私達はこんな国の国民なのか・・。
絶望しかないのか・・。
子供の命を守ること、それよりも大事なことが今の日本にありますか?
「内部被曝だけで100mSv」という、あなたがたの今回の決定事項は、命を粗末にしているとしか思えません。
お願いです。
国民のことをもっと考えてください。
政治において、何よりも尊重すべきは、「命」です。
子供が安心して住める環境を、子供が「日本人で良かった」と誇れる国になることを、願ってやまないです。
「10才までの子を社会が守らなければ、
返信削除社会がその子から守らなければならなくなる」
海外のことわざだそうです。
最近、幼稚園の講習会を受けた中で聞きました。
そこで、性教育や虐待など、子どもを持つ親への対応が、日本は何十年も遅れていると伺いました。
一気に変化・対応すると、暴動や買占め物価高騰など色々と危険性があるのは判ります。しかし将来に希望を抱いて歩いていくためにも、せめて悪い方へ流れないように食い止めて頂きたいと、切に願います。
上に続きます。
返信削除「1ドルの投資で1000ドル得する」
海外の育児のことわざ。
「上で子どもを持つ親への対応」と書いてしまいましたが、
性格には法整備が遅れていると言われました。
ピンチはチャンス、これを機に真剣に取り組んで欲しいと思います。
茨城のレンコンを検査したところ36ベクレルの結果。やはり入ってますね。国の基準値が500ベクレルだからと店では平気(?)で売る精神・・農家や店長さん、家族はいないの?小さい子どもは?農家は東電や国に補償をお願いしてください!
返信削除最終的には国民の税金ですが、放射能入り野菜を安全と言って売るのはやめてください。売るなら全検査体制を敷くこと!
これしか方法はありません。
政府の調査では茨城(かすみがうら)のレンコンは7ベクレルとなっていますね。福島の調査をみても、市民の調査と政府の調査では倍以上の開きがありますね。「政府の調査が信用できない」との意見、最初は「そこまでは」と思っていましたが、実際に信用しない方がよさそうな気がしています。
返信削除確かにデータというのは、洗って検査、同じ茨城でも、もともと汚染の少ない場所の農産物を検査、農産物の中の汚染の集積しにくい部位を検査とか、母集団の段階でいくらでも操作が可能なもの。(っていうかここまで疑わなければならない国って何なんだろう)
上限1mSvになっても、そういう体質は変わらないのかな。
国際基準は外部被曝と内部被曝を含めて1mSv、少なくとも対外的に明示する基準はこれを遵守したものにしてほしい。
食品の放射能汚染に対するパブリックコメント募集に対し、コメントを送信した方も多いと思います。その時に政府の資料の中で、「低線量被曝は安全」とする文献しか集められておらず、「低線量被曝が危険」とする文献は皆無といってよかったことに気づいた方は大勢いるのではないでしょうか。低線量被曝の危険性に国際的にも結論がついていない中、国家がだす資料としてはひどすぎると思いました。
返信削除国というものは利権がからみあう集合体、でも消費者というものはまとめて「消費者」といわれても個人個人。食の安全を守るには個人個人が声をあげていく必要があり、これが力になっていくのだと思います。