2015/03/08

【埼玉】 子育て世代 遠い帰還 浪江町 原田 幸さん


   
2015年3月8日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20150308/CK2015030802000152.html


 古里の福島県浪江町を離れ、もうすぐ四年になる。避難先の越谷市で二年前から同市の「避難者支援補助員」を務める原田幸(みゆき)さん(48)は、自らの境遇とも重ね合わせながら避難者の声に耳を傾ける日々を送っている。
 「腰はどうですか?」。先月下旬、越谷市内の借り上げ住宅で避難生活を送る岩手県宮古市出身の夫婦を訪れた。腰痛で三週間ほど仕事を休んでいる夫(60)に、原田さんは労災認定や傷病手当の手続きなどを説明。「ちょっとしたことでも相談してください」と笑顔を見せた。妻(56)は「原田さんは同じ避難者で話しやすく、心強い。つい、いろいろ吐き出してしまいます」と打ち明けた。
 仕事、住居、健康不安、離散した家族…。重い現実と向き合う避難者の悩みは多く、長期間引きずっているものも多い。そんな中、原田さんは月日を経たからこそ浮かび上がってきた課題にも気付く。
 「子どもにたくさん友人ができて、楽しく生活している。当面、地元へ帰ることはできない」。昨秋、高校生の息子を持つ避難者の母親に現状を聞いた。「避難指示」が解除された故郷へ帰る選択肢もあるが、息子は新しい土地になじんでいる。子どもを取り巻く環境は安定し、自ら壊すことは考えられない様子だった。「私も同じ気持ちです」と原田さんは明かす。
 浪江町にある原田さんの自宅は海岸線から約四キロの場所にある。津波は自宅に約一キロまで迫ったが夫と長男、長女、次女の家族全員が無事だった。親類を頼り福島県内や千葉県を転々とし二年前、親類が近くにいる越谷に来た。
 千葉県に一時避難した際、当時中学生だった長男が周囲になじめず涙を流した日をよく覚えている。「避難先の環境にすぐ順応できる子どもばかりではありません。うちは、まだいい方でしょう。時間がたってもなじめず、親子で泣いてばかりいた人もいた」
 避難先での暮らしが落ち着き始めると、古里への思いが募る。だが、多感な子どもの生活環境を大事にしたいと願う親は多い。「今の生活が楽しいと子どもに言われると、帰る選択肢はなくなってしまう」
 浪江町は東京電力福島第一原発に近く、町民が帰還できるめどは立っていない。原田さんは浪江に代々引き継いできた土地もあり、自分の代で放棄するわけにはいかない、という。
 「帰還は子どもが大学進学や就職で親元を離れた後、あらためて親が検討するのが実情ではないでしょうか。私も帰るつもりですが、どうなるか」。ほかの避難者から頼りにされる原田さん自身も、将来への展望が開けずにいる。 
     ◇
 「3・11」から間もなく四年。県内では福島県民を中心に今も五千人以上が避難生活を送る。同じ避難者を支える避難者、地道な支援活動を続けてきた埼玉の人たちを取材した。

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