2016/03/11

「3.11」から5年:「選別される棄民」と「女の革命」

2016年3月11日 新潮社フォーサイト

3月11日夜、福島県南相馬市のはずれにある原町区小沢という集落で、住民集会が開かれる。各地に離散した旧住民が、この日、ある議論を行うために集まるのだ。東日本大震災からちょうど5年目にあたる日だ。

「ある議論」とは、この集落を守る本尊として住民たちが長年祀ってきた「虚空蔵(こくうぞう)菩薩」(=写真)の社(やしろ)の再建である。社は震災で破損し、住民たちは、ご本尊を近くのお寺に"疎開"させていた。

虚空蔵菩薩とはもともと密教に由来し、空海が近畿地方に広めたとされるが、その後全国数十カ所に広まって祀られていることが確認されている。はるばる南相馬にやってきたのは、四国か紀伊半島から海流に乗って伝えられたという説もある。

ここ小沢地区では震災まで約50世帯の住民が、春秋の年2回、例大祭を催すなど、心の支えとして菩薩像を大切にしてきた。その教えでは、うなぎがご本尊の使いと信じられ、今でも年配の旧住民はうなぎを食べない。

一方、国は今年4月に、南相馬市について、東京電力福島第1原子力発電所の事故に伴う避難指示を解除する方針(一部の帰還困難区域を除く)を決めた。この変更に伴って、社を自分たちの手で再建して、5年ぶりにご本尊をお迎えしようという声があがり、この日、それを決める再建委員会が催されることになったのだ。

昨年5月にはそのための準備の集会が行われ、壊れかけたままに放置されていた古い社を解体する段取りも決まった。しかし、その過程で、新しい社の再建には反対の多いことが明らかになった。再建は実現しそうもないということが分かったのだ。

小沢区の区長、太田次男さん(67)は震災まで古い社の入り口の横に住んでいて、ご本尊を安置する扉の鍵を預かっていた、社の主のような人だが、その太田さんを含め、住民たちは散り散りになった。

避難指示が解除になっても、「住民のほとんどは小沢地区には戻ってこないと言っている。特に若者は誰も帰らないね。だいたい、再建から維持管理の費用を誰が出すか、誰がご本尊の面倒を見るのか、話はそこで行き詰まった」。

震災直後に市は小沢地区の住民が集団移転できるように、隣接する高台に用地を確保、いったんは半分ほどの世帯がご本尊をお守りしながらここに移ることになった。

しかし、これを阻んだのは原発だった。ほどなくこの地区は原発から20キロ圏内の放射能汚染による立ち入り禁止区域に指定され、集団移転の受け皿を造る造成工事ができなくなってしまったのだ。

「3月11日の集会は、ご本尊のお迎えを実現する最後の機会だけど、今となってはだめでしょうね。5年は長すぎた。そりゃ、寂しいよ。しかしまあ、ご本尊を心のよりどころにするという気持ちが住民たちの間で薄らいできたのも事実。特に若者たちは、うなぎを食べるようにもなっていたからね。ご本尊はお寺に永代、お守りしていただくよう丁重にお願いするしかない」

虚空蔵とは人々に知恵を授ける菩薩だそうだ。しかし、原発事故という最も愚かな人類の過ちを自らの身をもっても防げなかったのは、皮肉というほかはない。

「原発はいけないよ」。太田さんの声が悲しそうだった。

中央の写真、黒ずんだ3体のうちの真ん中がご本尊(「南相馬市博物館」提供)

究極の敗北

現代に残されたおとぎ話のような里が、こうして消えようとしている。福島県には、この小沢地区をはじめ、被災前は日本の原風景のような集落がそこここに点在していた。人々が心穏やかに暮らした村や町のたたずまい。農村の四季の彩り。そこから人々の姿が消えて5年がたった。当初はこういう事態がこれほど長く続くとはほとんどの住民が予想していなかった。しかし、時間が経つほどにことは悲惨になっていった。

自宅を追われて県内の仮設住宅や県外に避難している県民は今なお10万人近くもいる。原発関連死は1368人(東京新聞調べ)に達する。避難世帯の多くは家庭が崩壊するか崩壊の寸前にある。死者はその犠牲である場合がほとんどといってよい。

この5年間、政治は無策だった。無策の犠牲を代表するのが、南相馬市に隣接する浪江町だ。

全町民が避難生活を強いられたこの町では、馬場有町長が代理人となって原発ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)に訴えた。しかし東京電力は、この訴えを無視し続けた。その様子を筆者は当サイト(2014年9月11日「始まった『福島一揆』――東日本大震災から3年半」)に詳しく紹介したが、それからさらに、1年半の月日が流れた。申し立てに加わった町民1万5313人のうち440人がその間にこの世を去った。

ここまで来ると、東電のかたくなな姿勢の背後には、おそらくそれを指示しているであろう国の「悪意」が感じ取れる。浪江町民の全員を見殺しにしようという殺意と言っても過言ではない。

「東北人は負け方を知っている」と、東北地方の民俗学を専門とする赤坂憲雄学習院大学教授は言う。東北の歴史は負け続ける歴史だった。だが、今、浪江町で繰り広げられているのは、究極の敗北である。そして勝負の勝者が東電以上に国であるところに、この原発事故の歴史的意味がある。


「見せしめ」としてさらし者に

事故から1年後の2012年3月、筆者はやはり当サイトで、福島に関する国の無策を「棄民」と批判した(2012年3月11日「福島が消える――歴史に刻まれる現代の『棄民』」)。それから4年。「無策」は「悪意」に転じた。何が変わったのか。

当初の「無策」の犠牲者は福島県民全員だった。避難した住民全員の「帰還」が政策目標に掲げられたが、それはどちらかといえば具体策のない精神的な努力目標に近いものだった。

しかし、昨年から国の姿勢ははっきり変わった。とりわけ自主避難者には、期限を切って補償を限定する方針に転換したのである。帰還しなければ補償を打ち切る――対象者を絞り込んだ棄民だ。それは、換言すれば棄民の対象の「選別」である。

国の政策を受け入れなければどんな前途がまっているか。国はもはや、国民を棄てて見殺しにすることもいとわない。あからさまな脅しである。浪江の町民は今、その「見せしめ」としてさらし者になっているようにも見える。

日本の政治は従来、あからさまな選別を避け、曖昧さの中に落としどころを見つけるやり方をよしとしてきた。原発と福島を巡る国の政策転換は、この問題に落としどころがないことを物語っている。それは、国に落としどころを探す余裕が時間的にも財政的にも、もはや全くないことの表れでもある。

1000兆円を超す債務。大失敗に終わったアベノミクスの後始末も迫ってくる。原発事故の補償はまじめに取り組めばどこまで膨らむか見当もつかない。そうなれば東電のみならず、政府に対する責任追及は必至だ。

5年前ならまだやりようがあったのかもしれない。しかし、今は二進も三進もいかない。


国による選別

今年2月に公開された『大地を受け継ぐ』は一風変わったドキュメンタリー映画だ。主人公は福島・須賀川市の農民、樽川和也さん。ドキュメンタリーといっても、ほとんどが樽川さんの独白である。この映画の鋭さは、樽川さんの言葉を通して原発問題のタブーに触れているところだ。

放射能汚染を苦に自殺した父親の後を継いだ樽川さんは、自分の作る農作物を自分では食べられないと告白する。もちろん出荷する産物は放射線量の基準を厳しく守っているのだが、「それでも食べる気にならない」。放射能をこわがる消費者の気持ちがよく分かると苦しそうに話す。「これは風評問題ではなく現実なんだ」。

これまで、消費者が放射能をこわがる気持ちを率直に言えば、それは福島の農家への差別を助長するとして、逆に非難の的になることもあった。樽川さんの言葉は、父を失った農民だからこそ言えることだ。しかし、だからといって、その点を曖昧にし続ければ、福島の野菜が安値でしか売れない理由はわからない。結局、曖昧になるのは東電の責任であり、政府の責任であることを映画は訴える。

問題の核心はここにある。責任が曖昧になれば、東電は救われるが、被害者は救われない。国による選別の向かう先は加害者ではなく被害者だけ。国に幻想を持ってはならないと樽川さんは言っているようだ。


「私たちは今、自由」

小沢地区と同じ、南相馬市小高区の中心部、小高駅前にある1軒の旅館で、これまで紹介した人々のやりきれない話とは対照的な風景に出会った。

「双葉屋旅館」。ここでは毎日、明るい女性たちの笑い声が絶えない。年の頃30代から60代の十数人の女性が、営業できず今は空き部屋ばかりの旅館の1室に、入れ替わり立ち替わり集まってくる。議論したり、家族に起きた出来事を話し合ったり。おしゃべりは笑いを交えて大声で続く。

多くは地元の主婦だが、なかには東京から来て住み着いてしまった若いボランティアもいる。

女性のおしゃべりとはいえ、ただの井戸端会議ではない。このところの「議題」は、何と地元の菜種から油を搾って特産品にしようという事業計画だ。油はセシウムを含まない。きちんと工程管理をすれば、安全な商品ができるのだそうだ。技術協力の会社も見つけてきた。

4月に避難指示が解除され、旅館が営業を始めても、ちゃんとした事業だから家賃を払っても成立させる。「そこは主婦の強み。家内工業の形で人件費の安い労働力を確保するから、大丈夫」と、グループの中心となる、同旅館の若女将、小林友子さん(63)は言う。

事業を始める動機は「とにかく何かやらなきゃ」。震災と原発に襲いかかられて、周囲がみんな落ち込んでいるのに、「私たちまで落ち込んでいたら救いがない」。やれば必ずできるという「超楽観主義」だ。

国や市に期待しても何も出て来ないから自分でやる。「女はうだうだ考える前にまず動く。できることからまずやっていくのよ。失敗してももともとじゃない」

他に養蚕を手がけて絹製品を開発する計画もある。「本当の事業として完成するまでに5年か10年かかるかもしれないけど、それまでの時間を笑って過ごそうよ、ということなの」

放射能の線量管理も「自分たちの目で安全を確認する。自分の目で事業が成立することを証明する。それができずにどうするのよ」

今風に言えば、「闘う女集団」の誕生だ。しかし、それを可能にした地域社会の背景を小林さんの口から聞いたとき、筆者は心底感心した。

それは、一言で言えば地域社会の権力交替である。震災、原発事故が彼女たちの家庭にもたらした最大の変化は、老人たちが元気を失ったことなのだという。老人たちはふさぎ込むことが多くなり、目に見えて気力が衰えていった。自分たちが平和に暮らしてきた世界が一変したことに強い衝撃を受けたのだ。

「それはたしかに気の毒なのだけど、私たち嫁の立場の女にとっては、暮らしの中で重しがとれたのよ。私たちは今、自由になったの」

こんなあけすけな表現自体が、彼女たちの今の自由を証明しているともいえよう。震災と原発事故が彼女たちにもたらした初めての自由。

地域共同体の崩壊の否定的な面ばかりに目を奪われてきた筆者に、それは新鮮な驚きだった。

震災前までは、ちょっと外出するにも舅や姑に断るのが慣習であり礼儀でもあった。それは無言の監視下に置かれているということだ。その女の立場を、毎日、彼女たちはいやというほど実感してきたのだろう。


「女の革命」の行方は......

今、家庭や地域社会の束縛から解き放たれた彼女たちは、底抜けに明るい。明るさは力である。その力は、あるいは原町地区、南相馬市、そして日本という国を変えていくのではないかとさえ思わせる。

「そのうち、男が役に立つ場面もくるでしょ。そうなれば男たちもついてくるわよ」

「原発事故で死んだ人間はいない」とほざいた愚かな与党の女性政調会長や、下着泥棒の"前科"を噂される女性蔑視の代表者のような復興大臣が彼女たちの視線をさらに鋭くする。

地域社会、そして日本の復興を考えるとき、この事実は重要だ。必要なのは行政の計画や政治の段取りなどではない。これまで地域住民や国民を縛ってきた「重し」、国が自ら押しつけてきたしがらみや束縛を取り除けばいいのだ。

双葉屋旅館には、国が連発する「復興」や「再生」などの言葉にない熱気がある。福島発の「女の革命」が成功することを願わずにはおれない。

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