2016/03/07

避難者の今/上 5年間思い出なく 帰還困難、望郷消えず /佐賀

2016年3月7日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160307/ddl/k41/040/214000c 

昨年5月、佐賀市のある新築住宅で、福島県富岡町から避難を強いられた女性(39)の家族が生活を始めた。庭にあるモクレンの木は、長男(16)と次男(14)が通っていた小学校のシンボル。間取りは富岡町にある慣れ親しんだ自宅と似ている。随所に望郷の念がにじむ。

東京電力福島第1原発から20キロ圏にある富岡町は東日本大震災翌日から全町避難が続いている。女性の自宅は原発から約7キロにあり、今も帰還困難区域のままだ。2011年4月、夫(38)と長男、次男の4人で出身地でもある佐賀市の市営住宅に身を寄せた。

富岡町で生活を始めたのは02年末。夫は転勤族だったが、「拠点を決めよう」と家を建てた。人口約1万5000人の小さな町だが、桜がきれいだった。友人とは家族ぐるみの付き合いをし、ずっと暮らしていくつもりだった。そんな中、大震災が起きた。

11年夏、夫と2人で震災後初めて富岡町の自宅に一時帰宅した。白い防護服を着てバスから降りると、景色は一変していた。動物の死骸が横たわり塀は崩れたまま。町は怖いくらいに静かだった。それでも、「いつでも帰れるように」と定期的に戻って家の手入れをした。

だが、時が過ぎても福島に戻れるめどは立たず、徐々に諦めの気持ちが出てきた。佐賀に来てから長女(3)と三男(3カ月)も生まれた。佐賀に自宅を新築したのは、「子供たちのためにも落ち着きたい」との思いがあったからだ。

震災後、人付き合いがつらくなった。息子には「お母さんは服装を気にしなくなったね」と言われる。避難生活が始まって5年がたつが、「昨日地震に遭ったというのが毎日続いている感覚。思い出がない」という。

周囲から「福島に住んでいなければよかったのにね」と同情されることもあるが、女性は「福島にいてとても幸せだった。住んでいたことに後悔はない」と言い切る。いとしい日々の記憶と現実との間を、心はさまよい続ける。新居での暮らしは10カ月になるが、「人の家にいるような感じ」はまだ無くならない。【岩崎邦宏】

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東日本大震災から11日で5年。県内にもまだ150人近くの避難者がおり、震災が収束したとは言い難い状況だ。県内の避難者の今を追った。

■ことば
避難指示区域
帰還困難区域(年間積算放射線量50ミリシーベルト超)▽居住制限区域(同20ミリシーベルト超50ミリシーベルト以下)▽避難指示解除準備区域(同20ミリシーベルト以下)−−の3区域がある。9市町村に及び、福島県によると、これらの区域から避難している人は推計4万7000人に上る。これまでに田村市、川内村の一部、楢葉町で避難指示が解除され、4月中には南相馬市の居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除される見込み。

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