2016/03/09

とうほくの今 我が子を抱く愛描く 陸前高田の母子モデルに 大船渡で11日から絵画展 /岩手

2016年3月9日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160309/ddl/k03/040/021000c

大船渡市日頃市町(ひころいちちょう)の古刹(こさつ)「長安寺」で11〜13日、絵画展「ダキシメルオモイ」が開かれる。愛知県に住む画家、小林憲明さん(41)が東京電力福島第1原発事故で福島から逃れた避難者や、東日本大震災の津波で娘を亡くした陸前高田市の母子像を描いた。「我が子を守る」。そんな思いで抱き合う姿が、震災から5年を迎えた家族の心に迫る。【根本太一】

新潟市出身の小林さんは、2004年の新潟県中越地震で何もできなかった「自分を悔やんでいた」という。その6年5カ月後、震災と原発事故が発生。自身の2番目の子どもが生まれるひと月前だった。

国内に原発が54基もある現実を知って、衝撃を受けた。豊かな日本。子どもは伸び伸び育つことができると信じていた思いが、一変した。作品のテーマを「幼子を抱く母」に決めた。福島の避難者を全国に訪ね歩いた。

「抱っこの期間が、親にも子に最も幸せな時だと思うんです」。大人も抱き締められて育ってきた。そこには「子を守る」人の思いがあったという。そんな普遍の光景が、原発事故で奪われた。けれど子を抱く母の姿は、どこに逃げても変わらない。「ダキシメルオモイ」を伝えたかった。

12年、県内を訪れ、「被災地」の母子を作品に残そうとした。フェイスブックで知り合った陸前高田の女性保育士に頼って、モデル探しに奔走。しかし、震災から1年の状況では見つからない。引き揚げを決めた日、感謝と慰労のために、保育士を昼食に誘った。

1枚の写真を見せられた。保育士が3歳の女の子を抱いていた。「これが私の『ダキシメルオモイ』です」。2児と自宅を流されたという。写真は義妹の携帯電話に残っていた1枚だった。「子を抱けない心を描いてください」。涙を浮かべていた。福島で見てきた表情とは、全く違う顔だったった。

小林さんは、写真をアトリエの壁に張り付けた。これまで「目の前」の母子を描いてきたが、今回は架空の絵画になる。筆が重かった。「彼女の人生を背負ってしまった」と話す。思い悩み続けて描いては消す作業で月日がたっていたが、ようやく今年の年明けに完成した。

昨年、長安寺で県内での初公開が決まった。「僕は被災していない。『心を描いて』という彼女の思いをとげられたのか……」。粗い麻に描いた作品は、福島の母子と合わせて約20点。「今そこにある希望に目を向けてほしい」。2万人近くの命が奪われながらも、立ち直ろうとする被災地への「オモイ」だという。
問い合わせは長安寺(電話0192・26・3391)。

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