2016/03/10

避難先、孤独感いまなお 福島原発事故、住民に共同調査

2016年3月10日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/DA3S12250028.html

避難者であると明かせない、新居を建てても落ち着かない。朝日新聞社と福島大学の今井照教授の共同調査の回答者に話を聞くと、生きづらさや孤独感が続く状況が浮かんだ。

「同じ経験をしてないのでわかってもらえるのは無理だと思い、余計な事は話さない」。
避難先の人たちとの付き合いについて、ある回答者の女性はそう書いた

■賠償で新居、引け目
東京電力福島第一原発がある福島県双葉町から郡山市に避難した派遣社員男性(42)は深夜、車に乗って以前住んでいた仮設住宅のごみ捨て場まで行き、家庭ごみを捨てる。市内に家を新築したが、近所の人と会うのは気が引けるという。

「賠償金で家を建てたから、何を言われるかと勘ぐってしまう」

昨年10月、以前の職場で、同僚に双葉町から避難中と明かすと「どうせ賠償金でパチンコばかりやっているんだろう」と言われた。この言葉が心に刺さったままだ。

双葉町の南隣の大熊町から埼玉県に避難した会社員の女性(37)は自由記述で「子ども会などに一生懸命参加するが、気持ちはなじめていない」と書いた。

自宅は放射線量が特に高い区域で戻れるめどが立たない。なのに、職場で同僚に「どうして帰らないの?」と聞かれた。避難者と明かさずに普通の住民として暮らしたい気持ちもある。一方、帰れない所があると理解されず、原発事故が忘れられるのは悲しい。自由記述で「頑張ろうという気持ちと足元が不安定な気持ちとで、心のバランスがとれないことがある」とつづった。



■PTA活動で友人
避難先の人々と良い関係を築けた人もいる。

町全体で避難指示が続く富岡町から大阪市に避難した望月秀香さん(45)。次女の小学校のPTA役員を引き受けたことで話せる人が増え、友人もできた。

長女は高校を卒業し、春から大阪の会社で働く。中学生になる次女はすっかり関西弁だ。「娘たちが帰ってこられる実家をつくりたい」と、新居も買った。

大阪にとどまるつもりだが、住民票は富岡町のままにしている。「移すと、福島との関わりがなくなってしまいそう。ふんぎりがつかないんです」

回答者225人のうち、16%にあたる36人は原発事故前の自宅に戻っていた。帰還後の生活を問うと「地域の先行きが見えない」と答えた人が多かった。

いわき市に避難していた星智佳子さん(42)は2014年、夫が先に戻っていた南相馬市原町区の自宅に幼い息子2人と帰った。

自宅は除染済みだが、近所で線量が高めの場所の話題が出ると気になる。事故後、市内の小児科の病院が減ったのも不安だ。星さんは「ここに戻るのはリスクを抱えることなんだと思う」。
(伊沢健司、根岸拓朗)



(11日付朝刊の東日本大震災別刷り特集で詳報します)

■被災者の声と政策、ミスマッチ
福島大の今井照教授(自治体政策)の話 原発被災者に孤立感が広がっているのは、彼らの考え方と、避難指示解除の時期などの政策とのミスマッチに原因があるのではないか。政府や福島県は被災者の声を聞き、政策に反映するべきだ。被災者が置かれた状況への理解を広めるため、県内外の自治体や人々にもっと説明が必要だ。被災者が避難先でも避難元でも安定した生活を送れるようにし、まちづくりへの参加を保障しなければならない。

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