2016/03/07

秋田/恋しい、でも帰れない 放射線のリスクを懸念

2016/03/07 秋田魁新報
http://www.sakigake.jp/p/special/16/sorezore/article_03.jsp

福島県北部、川俣町にある夫の実家に行くのが毎週末の楽しみだった。夫、子どもと暮らす二本松市のアパートから車で30分。のどかな里山に親戚が集まって、おばあちゃんを中心に食卓を囲んで…。「私は夫だけでなく、夫の家族とも結婚したんだ」。能代市出身の佐藤佳代子さん(37)は、嫁ぎ先の福島で確かな幸せを感じていた。

手をつないで歩く佐藤さん親子。
3人での避難生活は丸5年を迎えようとしている
















そんなささやかな日常を奪ったのは、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故だった。発生当時は、次女綺音(あやね)ちゃん(5)の出産のため、長女花音(かのん)さん(10)を連れて能代に里帰り中だった。事態が落ち着いたら戻るつもりだったが、放射線の影響が深刻であることが分かった。「たとえ福島に戻り、健康被害が出たとしても誰も責任を取ってくれない」。そう考え、能代市に残ることを決めた。

月日がたっても放射線への恐怖は消えなかった。「私、帰らないから」。震災から1年たったころ、福島にいる夫に伝えた。子ども2人の安全を最優先した上での決断だった。夫は「そんなこと言ったって」と驚き、家族が離れ離れになることを懸念した。夫とは放射線のリスクについて何度も話し合い、時に激しくぶつかっていた。

幼稚園の転園、新しい家、父の不在―。震災後の暮らしの変化は幼い花音さんが受け止めるには、あまりに大きかった。気持ちが落ち着かない日が続き、「パパに会いたい」と泣いた。ストレスで一時的に難聴も患った。

「除染作業中」ののぼり旗が今も道路脇に並ぶ福島県飯舘村。
隣接する川俣町に佐藤さんの夫の実家はある















花音さんが小学校で書く絵や作文、詩で選ぶ主題はいつも「家族」だ。七夕の願い事も毎年「家族みんなでいられますように」。花音さんは「どうしてパパと一緒に暮らせないんだろうって、さみしく思う」と話す。

震災1カ月前に能代で生まれた綺音ちゃんは、この5年で成長した。歩き始めて言葉を覚え、幼稚園で友達ができた。父の姿を求めつつも子どもたちは元気に育っている。

ただ、育児の苦労と喜びを夫婦で分かち合うことは難しい。「心細い時は特に、夫にそばにいてほしい」と佐藤さん。家族が一緒にいられない生活に「納得できない」とうつむく。

夫の実家がある川俣町の空間放射線量は、今もほぼ全域で本県の通常レベルの上限(毎時0・086マイクロシーベルト)を上回る。隣接する飯舘村は全村避難が続いている。

「戻ってこないのかい」と義母に電話で聞かれることがある。そのたびに帰郷できないことへの申し訳なさと歯がゆさを感じる。「福島が恋しい。でも帰るわけにいかない」。そんな葛藤が胸にある。

この先、子どもが自立し、たとえ放射線の心配がなくなっても、福島に戻るかどうかは分からない。「福島が一番頑張っている時に私はそこから避難した。そんな私を、地域の人たちは受け入れてくれるのかな」。5年の年月は被災地との心の距離も感じさせる。

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