2016/03/11

栃木/避難者、母、研究者として… 苦難向き合い、未来を展望

2016年3月11日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/list/201603/CK2016031102000165.html

東日本大震災から11日で5年を迎える。震災前の日常を取り戻したかに見える県内にも、この5年間、さまざまな苦難や試練と向き合ってきた人々がいる。母親の目線で東京電力福島第一原発事故の影響を注視してきた那須塩原市の手塚真子さん(46)、故郷の福島県から避難した大山香さん(50)、研究者として原発事故と向き合ってきた宇都宮大国際学部の清水奈名子准教授(40)の3人に、それぞれの歩みを語ってもらい、残された課題や未来への展望を考えた。 (大野暢子、中川耕平)

◆それぞれの3・11
大山 震災時、原発から十キロ圏内の福島県富岡町にいた実母や弟と連絡が取れなくなりました。避難指示が出ていたので「行政や東電が用意したバスで逃げてくるか、避難所に入っているはず」と思いましたが、大渋滞と車の燃料不足、避難所の定員超過に直面しながら、事故の二日後にやっと自力で福島市のわが家へたどり着いたのです。

福島市は強制避難の対象にならなかったものの、自宅周辺は事故直後、空間放射線量が(国が除染実施の基準とする毎時〇・二三マイクロシーベルトの十倍超に当たる)毎時二・七マイクロシーベルトもあった。悩んだ末に二〇一一年秋、夫が何とか福島県の職場へ通うことのできる宇都宮に、夫と二人の子どもとともに避難してきました。

手塚 事故翌月の一一年四月、三男が通う那須塩原市の小学校で運動会の練習が始まり、はだしのまま敷地内の芝生の上で踊りの練習をさせていました。不安を覚え、学校に問い合わせても「大丈夫」「心配しているのはあなただけ」と言われ、正確な数値や安全の根拠は示されない。そこで、共通の思いを抱えた保護者ら約四十人と六月に「那須塩原放射能から子どもを守る会」を作りました。こうした声が行政に届き、校庭の除染や線量測定が実現しました。

清水 事故後、福島からの避難者や県北部の住民への聞き取りを重ねてきました。一二年に那須塩原市の保護者に実施したアンケートでは、回答者の九割以上が「子どもの健康被害が不安」と答えました。一五年三月には、宇都宮大有志らで栃木県に身を寄せた避難者七人の証言集をまとめましたが、その調査でも、多くの人が涙を流しながら誰にも打ち明けられなかった苦労を語ってくれました。
◆健康への不安
手塚 福島県では当時十八歳以下だった全県民に国費で甲状腺検査が保障されているけど、栃木県では実現できていません。国や県は「健康に影響が出る可能性は低い」と実施に消極的ですが、県境で放射能が消えるわけではない。

「行政がやらないなら自分たちでやるしかない」と一四、一五年の夏、茨城県守谷市の民間団体「関東子ども健康調査支援基金」の協力の下、希望する子育て世帯を対象に集団甲状腺検診をしました。毎回、百人を超える定員がすぐに埋まり、口には出さなくても不安を感じている人の多さを実感しています。この活動は矢板、塩谷、益子の三市町にも広がりました。

清水 「安全だ」と声高に言われると、何となく不安を口にしにくくなる。事故からまだ五年しかたっておらず、「将来も絶対に安全だ」とは誰も保証できないはず。福島県郡山市の女性が原発事故から数カ月後、かばんの中から線量計を取り出したら、知人らに失笑されたそうです。

女性はその後、不安を口に出せないストレスに耐えかね、子どもと栃木へ自主避難してきました。「事故直後に学校や行政が線量測定や除染、情報公開をしっかりやってくれていれば、自主避難はしなかった」というのが本音だそうです。

調査を振り返ると、「放射線影響への不安を口に出すな」という雰囲気に、避難者らが苦しんだという例が多い。事故も十分恐ろしいですが、不安の声を切り捨てようとする社会の圧力にこそ恐怖を覚えました。
◆避難者の痛み
大山 一二年、栃木県の被災者支援団体が、避難者を訪問支援するボランティアを探していると知りました。同じ避難者として寄り添いたいと思い、挑戦することにしました。故郷の自宅が朽ちていくのが悲しい、福島で農業をしてきたので、今でも農作業をしている夢を見る…。「被災者」という言葉ではひとくくりにできない、さまざまな事情や悲しみを聞きました。

孤立しがちな当事者が長く交流できる場をつくろうと、一三年には女性避難者たちで「栃木避難者母の会」を設立しました。今も約三十人が参加しています。

ただ、私自身も、高齢の母を富岡町から遠い茨城県へ避難させたことへの後ろめたさが消えません。事故まで福島を出たことがなかった人です。町は全町避難が続いており、家は居住制限区域内。私も宇都宮を離れられないのに、「今すぐ母を連れて行きたい」という衝動に駆られるんです。

国は昨年、自主避難者の借り上げ住宅の無償提供を原則来年三月で打ち切ると発表しました。私も「避難の自由」が奪われるとして署名活動に走りましたが、聞き入れられませんでした。多様な苦しみが全て個人の問題にされ、社会は必ずしも支えてくれません。

清水 栃木へ自主避難していた家族の話ですが、福島へ戻る時、子どもが「避難先でいじめられていた」と初めて打ち明けたそうです。両親が大変な中、言い出せなかったのでしょう。こうした苦しみを知れば、国は原発の再稼働を簡単にはできないはずです。
◆未来への責任
手塚 私は「甲状腺検査は必要ない」という立場の識者の話も聞きに行くようにしています。それがきっかけで情報交換をしたり、集団甲状腺検査を見学に来てもらったりもしています。意見の違う相手を責めるより、「子どもたちの将来を一緒に考えよう」という姿勢こそ、中長期的に見たら大切だと思います。

大山 私たちは国のあら探しをしたいわけではない。これからどうすればいいのか、一緒に考えてほしいだけ。避難先で住宅支援を打ち切られ、「安全だから福島に帰りなさい」と一方的に言われるのには、正直、違和感を感じます。おかしいと思ったことを、人目を気にせず「おかしい」と言えるようにしたい。国は、避難者の気持ちと政策を決して切り離さないで。

清水 これからも一研究者として、「原発事故は専門外だから」と目を背けず、現場の声に耳を傾けたい。宇都宮大にも、学校や家で原発事故のことを教わらず、野生の山菜やキノコが出荷制限になっていたことさえ知らなかった学生もいます。事故への責任が少なからずある大人の一人として、震災が浮き彫りにした問題を分かりやすい言葉で伝えていく決意です。

<てづか・まこ> 那須塩原市出身。3児の母。原発事故当時、中高生だった長男と次男は米国に留学中で、自宅には小学校入学を控えた三男がいた。きめ細かな除染や、希望者全員への甲状腺検査を求める住民団体「那須塩原放射能から子どもを守る会」代表。今は震災で中断していたカフェの開業を目指している。

<おおやま・かおり> 福島県富岡町出身。震災時に住んでいた福島市を離れ、宇都宮市で夫と中学生の長女、小学生の長男と暮らす。栃木県内の避難者を訪問支援するボランティアに携わった経験を基に、現在は「とちぎ避難者母の会」代表を務める。昨年は宇都宮大と協力、県内の避難者の証言集を編さんした。

<しみず・ななこ> 東京都出身。国際基督教大大学院博士後期課程修了。専門は安全保障。2007年から現職。原発事故後、被災者や県北の子育て世帯の声を追い続け、大学生たちにこの問題を考えさせる授業も展開する。栃木県に身を寄せた避難者の痛みと、原発事故で露呈した社会の課題を見つめた著書を刊行予定。

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