2016/03/06

避難者たちの選択/4止 宇都宮・斎藤あさみさん(41) 「支援打ち切り後もここで」 /栃木


2016年3月6日 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160306/ddl/k09/040/118000c 

郡山への思いを表現
「やっと周りの状況にも目を向けられるようになってきました」

この5年間、とにかく前を向いて生活を立て直すことに奔走してきたという宇都宮市の歌手、Cheka=本名斎藤あさみさん(41)は、福島県郡山市から小学5年の長女(11)とともに自主避難している。

東京電力福島1原発事故で郡山市は避難区域にならなかったが、放射線の心配をしなくていい安全な場所で、長女を伸び伸び育てたかった。2011年6月、縁もゆかりもない宇都宮市に移り住んだ。同年4月から郡山市でプロ活動するはずだったが諦めた。

頼れる人もいない場所での新しい生活は、想像以上に大変だった。しかし、自分は自主避難してきた立場。避難を強いられた人たちと同じ「避難者」と名乗る ことには抵抗があり、悩みを誰にも相談できず抱え込んだ。「つらいのなら帰ればいいじゃん」と自分を責めることもあった。

少し視界が開けてきたのは12年3月。新たな仲間と歌手活動を再開してからだ。ライブなどで福島県から避難していることを話すと「実は私も」と声をかけ てくる人もいた。多くの人と出会う中で「栃木避難者母の会」の存在を知った。交流会には郡山市からの自主避難者も多く、故郷を捨てたという負い目を共有することができた。「つらいと言ってもいいんだ」と救われた。

自主避難者の境遇がさまざまであることも知った。「除染は終わったのに何で戻ってこないの」と言われた人。家庭内で意見が対立している人。避難生活のストレスで心を病んだり「帰りたい」と泣いたりする人の話にも共感できた。

あれから5年。小学校にもすっかりなじんだ長女は、親の心配をよそに明るく元気に育ってくれた。今は郡山市に離れて住む夫(52)も、いずれは宇都宮市への移住を考えている。

福島県は16年度末に自主避難者への住宅の無償提供を打ち切る。それでも、斎藤さんは帰還は考えていない。宇都宮市には、避難後に苦労して積み上げてき た生活があるからだ。支援がなくなることも「その分、浮いたお金を地元の人たちのために使ってほしい」と肯定的に捉えている。

一方、震災が風化しつつある現状には危惧を覚える。時間の経過とともに震災が「終わったこと」になったり、被災地に目が向かなくなったりすることが怖い。

だからこそ「歌手としての活動などを通して、自分の体験や、いまだに復興の進んでいない地元の状況を広く伝えたい」と夢を語る斎藤さん。生活に精いっぱいだった日々から、ようやく自分なりに故郷への思いを表現できる余裕も生まれた。

「心の復興」はまだこれからだ。=おわり

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