2016/03/12

原発避難6割超解除へ でも「帰りたいけど暮らせない」

2016年3月12日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ3B6RXRJ3BUTIL03P.html





東京電力福島第一原発事故で福島県の9市町村に出している避難指示について、政府は来年3月までに順次解除する。現在避難を強いられている約7万人のうち、66%にあたる約4万6千人がふるさとに帰れるようになる。一方、放射線量の高い帰還困難区域は除染がほとんど進んでおらず、避難指示の解除のめどがたっていない。

政府は南相馬市南部に出ていた避難指示を4月に解除する方針。約1万2千人が対象となり、これまで解除された中で最も多い。4月以降に葛尾村の大部分、川俣町と川内村の一部に出ていた避難指示も順次解除する。ほかの5町村も帰還困難区域を除き、来年3月までの解除を目指す。

避難指示が解除されても、どのくらいの人が帰るかは見通せない。昨年9月に避難指示が解除された楢葉町では、4日時点で全人口約7400人のうち459人しか帰っていない。放射能への不安に加え、買い物の不便さや、医療、子どもの教育環境への懸念などがあしかせになっている。避難先で仕事を見つけて定住する人も多い。

避難指示の解除とともに避難者への東電の賠償や国の支援策も縮小されていく。原発事故で被害を受けた商工業者への賠償は2016年度分で終えるほか、住民1人あたり月10万円支払っている慰謝料は18年3月分で打ち切る。すでに避難指示を解除した市町村でも、全額免除されていた医療費や土地建物にかかる固定資産税の一部が自己負担になっている。(鹿野幹男)

■帰還者、不安と不便抱え生活

「畑が除染されず農業ができない」「町に戻っても、買い物すらできない」

政府が4月の避難指示解除を目指す、南相馬市小高区。2月の住民説明会で、解除反対の意見が相次いだ。避難先の福島市から参加した松本勇さん(65)は「自宅に帰りたい。でも今の状態では事故前の暮らしは到底できない」と嘆く。

「帰れるなら帰りたい」と考える人は多い。でも反対するのは、解除後の暮らしが不安で不便だからだ。

解除される地域では、住宅周りの除染は3月中に終わる予定だが、畑や道路は3~4割止まり。大部分の放射線量は解除の目安を下回っているものの、取り除いた汚染土を入れた袋は家の近くに山積みのままだ。病院は2014年4月に再開した一つだけ。スーパーはプレハブ造りの仮設商店のみで、コンビニはない。

昨年9月に解除された楢葉町は、にぎわいを取り戻すのに苦労している。半年間で町に戻ったのは住民の6%、459人にとどまる。

役場そばの仮設商店街は原発の廃炉や除染の作業員で昼時はにぎわうが、午後1時を回ると客足が途絶える。スーパーを営む根本茂樹さん(54)は「客は作業員が90%ぐらいで町民はほとんどいない」と話す。

赤字額は年間7千万円。それでも店を続けられるのは、今はまだ東京電力からの賠償があるからだ。ただ、東電は営業損害賠償を原則、16年度分までで終わらせる。根本さんは「経営していけるだろうか」と不安で眠れないこともある。

年明けの時点で、戻ってきた7割が60歳以上、20歳未満は5人だけ。復興の中心となる30、40代の子育て世代は少ない。避難先で新しい仕事を見つけたり、子どもが学校になじんだりして、故郷に帰ることに二の足を踏む人が多い。放射線量は解除の目安を下回ったとはいえ、子どもへの放射線の影響を不安に思う人もいる。

町では、病院が一つ増えて2カ所になり、来春には小中学校も再開するなど、インフラ整備は徐々に進みつつある。それでも、帰還した人たちは不安と不便を感じながらの生活が続く。

町が来春までの目標に掲げる帰還率は50%。町幹部は「長い避難が続いた分、帰ってくるには時間がかかる。意向調査で住民の半分が『戻りたい』と言っているのは希望。どうしても目指したい」と話す。(長橋亮文)

■帰還困難区域、「戻らない」決意も

福島県では、避難指示解除が少しずつ進む一方で、解除の見通しが立たない地域も残る。放射線量が特に高い「帰還困難区域」だ。事故前に区域に暮らしていた約2万4千人は、自宅に戻れるかどうかさえわからない。

自由に立ち入りができず、大部分で除染の予定も決まっていない。安倍晋三首相は10日の記者会見で、「帰還困難区域でも線量は低下している」と述べ、この区域の復興方針を夏までに決める考えを示した。

ただ、住民たちは帰還の意欲を失いつつある。福島第一原発がある大熊、双葉両町の場合、住民の96%が帰還困難区域に暮らしていたが、復興庁などが昨年実施した意向調査に「戻らないと決めている」と答えた人が、大熊で63%、双葉で55%に上った。ほかの避難自治体に比べ高かった。

大熊町の帰還困難区域から避難した片倉荘次さん(67)は戻ることをあきらめ、この春から町外の新居で暮らす。「町は元の状態に戻らねえだろうから」

一方、三春町に避難し、アパートで暮らす渡部千恵子さん(64)は「もう一度ふるさとに住みたい」と帰還できる日を待ちわびる。

11日、会津若松市の仮設校舎での授業が続く大熊町立大熊中学校の卒業式があった。出席後、渡辺利綱町長は「町に戻らないと決めた人もいれば、『ふる里で死にたい』と涙ながらに訴えるお年寄りもいる。突然、避難をさせられてから5年の間に住民の考え方は複雑になり、多くの人が納得できる答えは見いだせなくなっている。原発事故はたった5年で乗り越えられるほど甘くない」と話した。(高橋尚之)

■避難指示解除、支援打ち切りの動き

安心してふるさとで暮らせるよう、政府と地元が取り組んできたのが空間放射線量を下げる除染作業だ。自然に減った分もあわせ、県内の生活圏にあるモニタリングポストの約9割で、自治体の多くが除染の目安とする水準(毎時0・23マイクロシーベルト)を下回るようになった。16万人いた避難者は10万人を切った。

うち避難指示区域からは7万人が避難を強いられている。道路や下水道などを整備し、仮設スーパーの設置などを進めてきた。

政府は指示解除にあたり、戻りたい人から戻って生活をやり直してもらうことが先決との立場だ。原子力災害現地対策本部の後藤収副本部長は南相馬市の説明会で「解除しても半分も戻るとは思っていない。それでも遅らせれば遅らせるだけ帰還意欲は落ちる」と話した。

避難指示が解除されるにつれ、行政は避難に伴って続いてきた支援を打ち切ろうとしている。

例えば医療費や税金の免除がそうだ。楢葉町では10月から、一定の年収を超える人の医療費の負担が始まる。14年4月に避難指示が解除された田村市都路地区では、免除されていた固定資産税が15年度から通常の半分課税されている。

これから解除を迎える南相馬市などでも、解除後一定期間がたてば、住んでいなくても税金を納めなければいけなくなる見通しだ。東電は1人あたり月10万円の慰謝料も18年3月分で打ち切る。自主避難者向けでも県は住宅の無償提供を17年3月で終える。

政府が事故の幕引きをしている、と感じる避難者もいる。富岡町からいわき市に避難している司法書士の渡辺和則さん(42)は「被災地はリハビリを始めたばかりなのに『自立しなさい』と迫るようなものだ。被災地の状況を見ていない」という。

丹波史紀・福島大准教授(社会福祉論)は「避難指示が解除されたからといって、住民がただちに生活再建できるわけではない。戻るか否かをすぐには判断できない人もいる。それぞれの判断を尊重し、長い目で支援を続ける必要がある」と話す。

鹿野幹男 長橋亮文 高橋尚之

まもなく国の避難指示が解除される、福島県南相馬市小高区。
除染で出た廃棄物を詰め込んだ袋を運ぶ車両がひっきりなしに通った


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