東日本大震災から間もなく5年を迎える。県内では今なお、28市町村で3658人(2月12日現在)が避難生活を余儀なくされている。避難者たちはこの
5年間、古里に思いをはせながら、就職や進学、子育てなどさまざまな「選択」を迫られてきた。故郷への帰還を決めた人もいれば、新潟での定住に踏み切った
人、将来への目標に向かって今を生きる人もいる。震災によって、新潟と関わりを持つことになった人々の、それぞれの選択を追った。【堀祐馬】
家族で食卓囲みたい 子どもの変化に希望
「余裕を持って離れられるうちに戻ろうと決めた」。子ども3人を連れて新潟市秋葉区に自主避難している伊藤真由美さん(46)は、3月末で福島県本宮市へ帰る決断をした。4年半を過ごした借り上げ住宅には、少しずつ段ボールが増え始めている。
伊藤さんが避難してきたのは2011年10月。震災当初は自閉症の次男(11)が気がかりで、避難は考えていなかった。だが、東京電力福島第1原発から 100キロ余り離れた本宮でも、保育園では子どもが外で遊ぶ時間を制限されるなど、不自由な生活に息が詰まった。意を決し、同年8月に子ども3人を連れて 北海道洞爺湖町に1カ月間、自主避難。外で伸び伸びと遊ぶ子どもたちの姿を見て「普通の生活をさせてあげたい」と強く感じるようになった。夫政次さん (56)と毎晩のように話し合い、新潟への避難を決断。左官業の夫は一人、本宮に残った。
避難先での生活も当初は順調で、子どもたちが外で楽しそうに遊ぶ姿にほっと胸をなでおろしていた。だが、本宮と新潟との二重生活で次第に生活費はかさ
み、震災のショックからか長男(13)は不登校気味になってしまった。自主避難者への借り上げ住宅の無償提供も来年度で打ち切られる。避難から4年半。戻
るときだと決断した。
懐かしい地元での暮らしにも手放しで喜べない部分はある。震災前に通っていた地元農産物の直売所は、内部被ばくへの不安を拭えない。一度避難して地元を離れたことで、人間関係もまた一から作らなければならない。
それでも、新生活への希望はある。今春、中学2年になる長男は「本宮に帰ったら学校に行く」と話してくれている。長女(8)は「犬が飼いたい」と言っており、生活が落ち着いたら願いをかなえてあげるつもりだ。
「不安がないと言えばうそになる。でも、ようやく家族そろって暮らせる。戻ったら家族5人でゆっくり食卓を囲みたい」
見知らぬ土地で一人、子育てに奮闘してきた伊藤さんの笑顔には、安堵(あんど)の表情がにじんでいた。
◇ ◇
復興庁によると、2月12日現在、岩手、宮城、福島の被災3県からの避難者数は全国で約17万4000人。県内への避難者数は最大で9000人を超え、
現在でも被災3県を除くと、東京▽埼玉▽茨城▽神奈川−−に次いで5番目に多い。関東へは親戚や知人を頼って避難しているケースも多いが、県内への避難者
は、ほとんどが公営住宅や借り上げ住宅に入居しているという。
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