原発事故後も自宅にとどまった。母親は自分の両親と同居しながら一人で子育てし、販売業の仕事をどうしてもやめたくなかった。地域は除染の順番が遅く、母親は上総をあまり外に出さない。体を動かさなくなり、身のこなしが不十分ではと気になる。寝付きも良くない。
だが久米島では、ご飯を食べるとすぐ寝てしまう。坂道を元気に駆け上がる。「自然の力ってすごい。お菓子やおもちゃがなくても楽しそう。いつも笑っている」
地元では放射能の話はしない。「気にしないようにしないと住んでいけないのかな」と思う。しかし「球美の里」では参加者同士で思ったことをそのまま話せる。スタッフも温かく接してくれる。「地元に戻ってもまた久米島に行けばいいと思える」
放射能に対する考え方は、参加者の間でもそれぞれに異なる。「福島にいる時もそれほど気にしていない。子どもが望むので外でもはだし」という母親もいる。
いわき市の根本文(ねもとふみ)(35)は3人の子がいる。親と離れたくなかったので、放射能とつきあっていくと決めた。そのかわり徹底的に対策をした。
自宅の畑を深さ20センチまで削った。野菜を作り、「球美の里」のいわき事務局でもある「放射能市民測定室たらちね」に持ち込み、放射能を測って安全性を確かめた。庭は砂利と人工芝にし、砂場は新潟の砂に替えた。保養に来たのは沖縄の海で遊ばせたかったからだ。
「どこまで正しいかわからないけど、これからも自分で許容範囲を決めてやっていきたい」
福島の子の保養を受け入れる市民団体は全国にあるが、「球美の里」のような恒常的な施設は少ない。
福島県も「ふくしまっ子体験活動」を行っている。泊まると1人5千円の補助が出る。「球美の里」もこの制度を利用することがある。他の施設に参加した母親らによると、子どもはゲームコーナーで遊んでいた。
「『球美の里』は自然も食べ物も開放感も全然違う」