2015/04/21

群馬/郷里の福島で悪戦苦闘 幼子抱え放射能に不安 みなかみ避難の夫婦


毎日新聞 2015年04月21日 地方版
http://mainichi.jp/area/gunma/news/m20150421ddlk10040064000c.html


福島第1原発事故は多くの人の暮らしを破壊した。群馬に一時避難した後、福島に戻った人たちは、放射能の子どもへの影響に不安を抱きつつも、何とか生活を再建しようと必死に働いている。

「自分は放射能を浴びているのに、大丈夫かな」。福島県川俣町の避難先の借り上げ住宅で、花卉(かき)農家の菅野洋平さん(36)は子どもを抱っこしながら思った。車で30分の距離にある避難区域内の農業用ハウスで作業した後、着替えてから帰宅している。だが一時期、家に入ってはいけないような気さえした。

昨年から避難指示解除準備区域の川俣町山木屋地区で、トルコキキョウの栽培を再開した。原発事故前の暮らしに一歩近づいたが、幼い2人の子どものことを思うと、今後どこで生活していくか悩ましい。「仕事のことを考えると避難前の自宅がいいが、子どものことを考えると避難先の方がいい」

福島第1原発から約35キロの阿武隈山脈の高地、山木屋地区に菅野さんの自宅はある。妻の愛さん(37)と「あぶくま」ブランドのトルコキキョウを栽培し始めた直後に原発事故が起きた。1カ月後に自宅は計画的避難区域に指定され、みなかみ町の愛さんの祖父母の家に身を寄せた。それぞれアルバイトをしつつ、様子を見に毎月のように川俣町に通った。自宅は、避難区域に指定されていない二本松市との境目にある。行くたびに草木で荒れていく自分の田の約50センチ先に、青々とした田が広がっているのを見て、寂しさが募った。

先行きの見えない避難生活の中、2013年1月に長男が生まれた。仲間の花卉農家が山木屋地区で花の試験栽培を開始。放射性物質は検出されず、翌年から栽培が認められることになった。

「わざわざ生まれたばかりの子を福島に連れてこなくてもいいのでは」との思いを抱えつつも、震災前からの夫妻の夢である花の栽培を再開するため、同年12月、みなかみ町から避難区域外の川俣町の借り上げ住宅に家族3人で移った。避難区域の山木屋地区は寝泊まりができないため車で通い、昨年から両親と花作りを再開。同年8月には長女も生まれた。
山木屋地区の子どもの数は少子化と避難で急減。除染は徐々に進んでいるものの、子どもを安心して外で遊ばせられる放射線量まで下がっていないと感じている。花の出荷で繁忙な7月下旬から10月上旬は、子どもと一緒にご飯を食べたり、風呂に入ったりすることもできない。子どもが起きる前に出発して、子どもが寝た後に帰宅する日もあった。「子どもの隣で寝るだけでは寂しい」と漏らす。

避難指示が解除され、山木屋で暮らせるようになれば解消される悩みだが、そう単純ではない。「山木屋に住んでいた方が自分の体も楽だし、子どもと接する時間も長くなるんだけど……」。結論はまだ出せずにいる。









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