2016/03/02

看護師の夢へ歩む 福島から富山移住の高校生

2016年3月2日 中日新聞

卒業迎え専門課程へ
東日本大震災後、福島市から富山市へ母とともに移り住んだ加藤葉瑠香(はるか)さん(18)が一日、富山いずみ高校看護科を卒業した。春からは友人とともに専攻科看護科(二年制)へ進む。ふるさとで芽生えた看護師になる夢を胸に、一歩ずつ歩みを進めている。(山本拓海)

担任の喜渡さおりさんと卒業を喜ぶ加藤葉瑠香さん(左)
=1日、富山市堀川小泉町の富山いずみ高で

震災に遭ったのは中学一年生の時。一人で留守番していたところを揺れが襲い、すぐに外へ飛び出した。揺れが収まり家に戻ると、棚やテレビが倒れて物が散乱し、足の踏み場がないほどだった。テレビのニュースで福島原発が危険な状態だと知り、不安が募った。「多分あの時から、母は引っ越しを決めていたんだと思う」と振り返る。

それでも「中学卒業までは」という葉瑠香さんの思いもあって、母ゆかりさん(51)が放射性物質に気を使って食べ物を選ぶ生活に。「当時は気にしすぎだと思った。でも、今になるとお母さんは正しかったのかなと思う」

震災の年の夏休み、NPOによるホームステイで母と初めて富山を訪れ、一カ月間、射水市に滞在した。翌年末、ゆかりさんが偶然見つけた別のNPOのブログで被災地支援に取り組む県内の女性看護師を知った。「富山で看護師を目指したい」。高校へ進む二〇一三年の春、NPOの助けも借りて母とともに移り住んだ。

中学一年生で始めたホルンを高校でも続けた。念願かなって実現した看護科での高校生活は「部活と勉強で忙しかった」。吹奏楽部の休みは月に一日あるかないか。「厳しかったけど、充実していた」と笑顔を見せる。

移住して三年、富山での生活にすっかり慣れた。福島には引っ越し以来、帰っていない。友人と連絡を取ることも少なくなった。「多分もう住むこともないかな」。だが、ゆかりさんと福島の話が出ると、やっぱり懐かしい。富山に根を張っても、生まれ育った故郷への思いが消えることはない。

看護師は中学生のころ、母親や先生の勧めがきっかけで目指し始めた。実習などを重ねるごとに思いは強くなる。「これからは専門科目が増えて大変そう。国家試験をしっかり通って、富山で仕事をしたい」と意気込む。

卒業式後、担任の喜渡さおり教諭からは「勉強で忙しくなるけど大丈夫。二年間頑張れば、きっと合格できるよ」と激励を受けた。母ゆかりさんは「いい友達と先生に恵まれた三年間だった。これからも強い気持ちを持って夢を追い掛けてほしい」と、娘に優しいまなざしを向けた。

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