2016/02/28

福島復興の現実(1) 東日本大震災5年 あなたなら、戻りますか

2016年02月28日 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/227363

馬追い神事「相馬野馬追(のまおい)」で知られる福島県南相馬市の南部、小高区。東京電力福島第1原発事故による避難指示が今春、解除される見通しだ。日中は、自宅の片付けのために行き交う人がちらほらいた。

不通が続くJR常磐線の小高駅の前にある「双葉屋旅館」の4代目おかみ、小林友子さん(63)も帰還準備を進める。避難先を転々とし、市内の仮設住宅に移った3年前から毎日、車で通い、駅周辺に花を植え続けてきた。信号は消えたまま、人の往来もなく「街に色がなくなったから」。

海岸から3キロの旅館は津波被害を受け、2年かけて改修を終えた。仮設暮らしの人たちが作った手芸品などを販売する倉庫は、久々に顔を合わせる住民たちの集いの場になっている。

小高区は原発20キロ圏にほぼすっぽり入る。放射性物質の除染で出た土やがれきを入れる黒い袋「フレコンバッグ」があちこちに無造作に置かれている。

事故前、小高区の人口は約1万2800人だった。避難指示解除後に戻る意思を示しているのは1100人余。「3年前ならもっといたかも。5年は長かった」と小林さん。それでも「古里はここだけ」と戻ることを決めた。
双葉屋旅館の前で、冬の寒さに耐えて花を咲かせたスミレソウに笑顔を見せる小林友子さん。
左奥はJR小高駅=17日、福島県南相馬市


小林さんと住民支援団体をつくる広畑裕子さん(57)は昨年10月、双葉屋旅館の近くに交流拠点施設「おだかぷらっとほーむ」を構え、避難住民への情報発信を続ける。施設を訪れる人は少しずつ増えてきた。ただ、広畑さん自身は思い悩む。「戻るかどうか、よく聞かれるんだけど」。あなたならどうしますか、と逆に聞き返してしまう。

広畑さんの自宅は原発から約11キロ。「原発でまた何かあったら…」。古里に戻ろうとする住民を支援しながら「帰る」と言い切れない自分に決断を迫ると、悩みが深まる。「だから今は帰るかどうか、決めないことに決めたっぺ」。そう語る目は悲しげだった。
   ◇    ◇
長すぎた5年、避難先に新居
奥羽山脈を仰ぎ見る福島市。東京電力福島第1原発事故の影響で全村避難が続く福島県飯舘村から移住している農家、菅野哲さん(67)は、同市に完成間近の新居を心待ちにする。

村は放射性物質の除染を急ぎ、2016年度末までに村内のほとんどの区域で避難指示を解除し、帰村を促す方針を掲げる。

菅野さんは村の山裾に農地2・5ヘクタールを残す。ギンナンの実を収穫してきた230本のイチョウのことが頭を離れない。ただ、山に入れば、木々の周辺で毎時20マイクロシーベルトと線量計が跳ね上がる所もある。国が一時避難の目安とするレベルだ。

「農地はいつ使えるようになるのか。被ばくの影響も不安だ」。元村職員の菅野さんですら帰村の方針に疑問を抱き、村から西へ30キロ以上の同市内に家を建てることを決断した。

新居のそばに、雪に覆われた1ヘクタール余の共同農場があった。散り散りとなった村民が土に触れられるように11年8月に借り上げた。高齢者が車に乗り合って集まり、野菜を収穫する。

「何十年と培ってきた村の人間関係が壊された。ここを新たに村民が集う場にしたい」。建設中の農業倉庫を見ながら夢を語る菅野さんは「村を捨てたのではない。捨てさせられたんだ」と声を落とした。

福島県飯舘村から避難中の菅野哲さん。
3月12日、福島市内の新居に引っ越す予定だ
=2月13日、同市
◇    ◇

帰村を諦め、避難先での定住を決めた人は珍しくない。福島市内に土地を見つけ、家を建てた女性(40)は重い口を開いた。「近所の人に、飯舘村から来たとは明かしていない」。東電から受け取った賠償金のことで、あらぬうわさが広まるのを恐れている。

中学生の息子(13)は市内に仮校舎がある村立中に通学する。避難指示が解除されると、学校は村内で再開されるが、新居近くの中学に転校させるか、村の学校に同市から通わせるか。踏ん切りはつかない。

女性は「まだ放射線量が高い」と村へ通わせることに不安を抱き、息子は「これ以上、友達が減るのは嫌だ」と逆の意見。その選択が「子どもには本当にストレスになっている」。

避難指示が出ている同県内9市町村のうち、「帰還困難区域」が大半を占める双葉町以外で順次、帰還の話が進む。飯舘村では、村外で住居を取得したとみられる人は全村民の3分の1の2300人。昨年9月に避難指示が解除された楢葉町では全町民7300人のうち、戻ったのは6%ほどだ。



なお残る放射線への不安と、5年にわたる地域社会の分断。戻るべきか、戻らぬべきか。避難指示の解除は、被災者たちに新たな難題を突きつけている。
   ◆    ◆

福島第1原発事故から間もなく5年。福島は復興への歩みを確かなものにしているのか。現場から報告する。

0 件のコメント:

コメントを投稿