2014/12/13

原発被災地の医師、何を考え、何を目指すか 「現場からの医療改革推進協議会」第9回シンポ


 「現場からの医療改革推進協議会」の第9回シンポジウムが12月13日、東京都内で開催され、南相馬市立総合病院(福島県南相馬市)副院長の及川友好氏は、東日本大震災および福島第一原発事故から3年10カ月過ぎた現状を踏まえ、「原発から半径20km圏内は、政府が警戒区域に指定しているため、いまだ人が入れないことを忘れないでほしい」と震災が風化しないよう訴えるとともに、疾病発生率や震災関連死をはじめ、震災の影響に対する検証を進めていることを紹介した。

 震災関連で講演も多い及川氏は、「我々の病院がどうなっているのか、その軌跡と、我々が何を考え、どう行動しているのか、何が問題なのかをお話する」と趣旨を説明。
 今取り組んでいる検証の一つが、疾病発生率。及川氏は脳神経外科医で、自らの専門分野である脳卒中の人口10万人当たりの入院患者数は、震災前の月14.7人から、震災後は2013年12月までのデータで月21.9人に増加、震災前後で相対リスクが1.49倍になっているという。原因は同定できていないが、ストレス、生活環境による変化などのほか、医療費の無料化も影響していると及川氏は見る。今年9月までは所得を問わず医療費は無料だったが、段階的に廃止し、来年2月には無料化が廃止される予定だという。「医療費が無料でなくなることで、この受療率がどう動くかが興味深い」(及川氏)。

 震災関連死の検証も進めている。「震災関連死は、行政用語。さらに言えば、弔慰金をもらうための言葉。我々医療者として、実際、何が震災関連死の原因になっているのかを検証したい」と及川氏は話す。南相馬市の場合、今年10月の時点で、574人の申請者のうち、458人(80%)が震災関連死と認定された。経時的に見ると、年々認定率は低下している。
 現在検証中で詳細なデータは公表できないとしたものの、死因は老衰が最も多く、9割を超え、次いで多いのが循環器系疾患、肺炎は両者ほどには多くはない(複数原因あり)。南相馬市に限らず、震災関連死の判定にはブレがあるとされるため、及川氏らは南相馬市の震災関連死のスタンダード作りを目指す。
 南相馬市立総合病院では、原発事故直後、「屋内退避指示区域」に指定され、入院が規制されたため、107人もの患者搬送を行った(『「今、一番深刻なのは看護師不足」、南相馬市』参照)。DMATも、救急隊も来ず、自衛隊の車両のみで患者を搬送したが、搬送がその後の死亡につながった例もある。今後、震災が起きた場合の患者搬送の在り方も検討課題だ。

 シンポジウムではそのほか、相馬市長の立谷秀清氏が、「次の死者を出さない」ために、震災関連死のほか、中長期対策として孤独死の対応について講演。仮設住宅や災害復興住宅の設置に当たっては、入居者の中心となる高齢者が、コミュニティーを形成できるよう設計面を工夫するほか、運用面では入居者が一堂に会して食事できるようにするなど、さまざまな取り組みを行っている現状を紹介した。
 相馬中央病院(福島県相馬市)で後期研修を続ける医師、森田知宏氏は、震災後の人口構成の変化が、地域の医療提供体制に与えた影響という視点から講演。「人口の高齢化は、地域住民だけでなく、医療者の高齢化でもある。介護老人保健施設は増床しても、職員が確保できず、約400人待ちの状態。在宅でも家族の介護力が低下している。結果的に退院できない患者で病院が満床になっている」。こう語る森田氏は、地域包括ケアを推進しようにも難しい現実があり、特に問題になっている看護師不足などへの対応が急務だとした。立谷氏と森田氏の講演は、被災地が日本の高齢化を先取りしていることを物語るものだ。
 公益財団法人震災復興支援放射能対策研究所の事務局長の二瓶正彦氏は、ひらた中央病院(福島県平田村)で、2011年9月から独自に内部被ばく検査を開始、その後、甲状腺検査、さらには2013年12月からはベビースキャンを導入し、乳幼児の検査も実施している現状を紹介。

 震災直後から相馬市と南相馬市で、内部被ばく検査や地域住民への放射線に関する啓発活動に取り組んできた、東京大学医科学研究所の坪倉正治氏の講演で、現状を象徴的に表していたのが、「人それぞれの速度にあわせて。走っている人もいれば歩いている人もいる。止まっている人、逆方向に進む人もいる」と記したスライド。
 相馬市や南相馬市では、一部のホットスポットを除けば、外部被ばくする環境ではない。内部被ばく検査をしても、検出限界以下が大半だ。それでも、小さな子供を持つ母親の8割強は、現地の食べ物を食べないという。「それを、『リスクの重要性や理論が分かっていない』といった言葉で語ってしまうのは、薄っぺらい」(坪倉氏)。

 興味深かったのが、以前、大手メディアが甲状腺検査を「過剰診断」という切り口で取り上げた際、検査を担当する福島県立医科大学には問い合わせの電話が複数入ったというエピソード。その大半「03」から始まる、つまり東京都在住者からの電話番号だった。ひらた中央病院には、問い合わせはなった。単に医学的な切り口では解決しない問題が、原発事故に伴う被ばく問題は、単に医学的な切り口では解決しないことを物語るエピソードと言える。坪倉氏は、一人ひとりの価値観や考え方、理解度を踏まえて、医学的な理論とのバランスを考えながら、検査や教育・啓発活動を続けていく構えだ。

 医師数、震災前の14人から25人に

 南相馬市の人口は、2011年3月11日時点で7万1561人。住民に避難指示が出たため、一時は8000人まで減少したものの、その後は着実に増加、この12月1日現在の人口は、震災前の約9割に当たる6万3673人。戻った住民は高齢者が多いため、高齢化率は2011年1月の時点では25.9%だったが、2013年3月では32.9%と急速に高齢化が進んだ。現在も約3割の状態が続く。
 及川氏は講演で、地域の医療提供体制についても言及(『震災後10日間、「病院は孤立した船だった」』を参照)。南相馬市全体の病床は、人口の7割が戻ってきているにもかかわらず、稼働病床は震災前の約5割にすぎない。看護師不足が主たる原因で、稼働している市内5病院の看護師数は震災前の約7割にとどまる。
 その中で、基幹病院として機能しているのが、南相馬市立総合病院だ。医師は震災前14人から一時は4人に減少したが、今年4月の時点で22人、今では約25人にまで増えた。全国各地から支援に入っているほか、2年前から臨床研修の受け入れを開始し、毎年2人ずつ受け入れ、2015年4月には4人が研修を始める予定だ。医師は着実に増えているものの、問題は看護師で震災前の約9割にとどまる。稼働病床は230床から152床に減らしている。

 講演で及川氏は、震災および原発事故直後の様子も、自身の鮮明な記憶とともに紹介。南相馬市立総合病院は、福島第一原発から約23kmの場所にある。事故後、一時は住民に避難指示が出され、同病院の職員にも自主避難を認めた。「極限状態で、医療者に自主避難を認めたときに、何人残るか」と問いかけ、約3分の1だったと説明。厳しい状況の中でも、地域の基幹病院として外来診療だけは続けた。「我々の特徴は、『ばんざい』をしたことであり、多くの支援者を全て受け入れるスタンスにしたこと。そのおかげで、いち早く内部被ばく検査も始めることができた」(及川氏)。
 「南相馬市になぜ住民は戻ってきたか。結局は社会や教育の体制、放射線のレベル云々ではなく、『南相馬で生きる、生活をする』と決めた人が戻ってきている。逆に、だからこそ医療者は外部・内部被曝、傷病発症などについてケアをしていかなければいけない」。こう語り、及川氏は講演を締めくくった。



2014年12月15日
http://www.m3.com/open/iryoIshin/article/277971/?category=report

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