2015/09/30

2013年2月22日「毎日新聞」だけが伝えた重大事実とは?

2015年9月30日 ダイヤモンド社 書籍オンライン
 
――八重洲ブックセンター本店での講演(3)
『原子炉時限爆弾』で、福島第一原発事故を半年前に予言した、ノンフィクション作家の広瀬隆氏。

壮大な史実とデータで暴かれる戦後70年の不都合な真実を描いた
『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』が第5刷となった。
本連載シリーズ記事も累計179万ページビューを突破し、大きな話題となっている。

そんななか、8月28日、東京駅前の八重洲ブックセンター本店で、本書の出版記念講演会が開催された。

当日は金曜夜にもかかわらず、地方からも多くの方々が押しかけ、満員御礼になった。

普段の広瀬氏の講演会は「最低3時間以上」だが、この日は「60分間」限定。

それだけに会場からは、「密度が濃すぎた」「とても1時間では語り尽くせない内容だった」「本当にきてよかった」と真顔で話し出す人が続出!

それを見た担当編集者は、この熱気を全国津々浦々の方へ届けたいと、広瀬氏にリクエスト。ついに、濃密な講演内容を3回に分けてリリースできることになった。

反安倍政権の動きと、緊迫感高まる川内原発再稼働問題のなか、注目の最終回をお送りする!
2013年2月22日の「毎日新聞」で何が報じられたか?


広瀬 隆
(Takashi Hirose)
1943年生まれ。早稲田大学理工学部卒。公刊された数々の資料、図書館データをもとに、世界中の地下人脈を紡ぎ、系図的で衝撃な事実を提供し続ける。メーカーの技術者、医学書の翻訳者を経てノンフィクション作家に。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『クラウゼヴィッツの暗号文』『億万長者はハリウッドを殺す』『危険な話』『赤い楯――ロスチャイルドの謎』『私物国家』『アメリカの経済支配者たち』『アメリカの巨大軍需産業』『世界石油戦争』『世界金融戦争』『アメリカの保守本流』『資本主義崩壊の首謀者たち』『原子炉時限爆弾』『福島原発メルトダウン』などベストセラー多数。


このあと八重洲ブックセンター本店で話したことは、その先に起こること、つまり「4年前に起こった大量の被曝によって、福島県だけでなく、東京を含む東日本全域で、これから人間の体内で何が起こるか」という話であった。

福島第一原発の北西5.6キロメートルの双葉町上羽鳥《かみはとり》では、水素爆発が起こる前の、2011年3月12日午後3時00分に、1時間あたり1590μSvを記録していたのである(μSvは、100万分の1シーベルト)。


これを年間の被バク量に換算すると、14 Sv/年であるから、致死量の2倍という、トテツモナイ被曝量であった!! この事実が公表されたのは、事故の翌年、2012年9月21日になってからであった。


そして翌年、2013年2月22日の「毎日新聞」が、重大なことを報道した。

福島第一原発の1号機で、2011年3月12日の午後3時36分に「最初の水素爆発」が起こった。

だがそれより5時間以上前の、朝10時に、原発に近い山田地区では、やはりトテツモナイ空間線量を記録していた、という事実を。

この時刻は、1号機の格納容器が破壊されそうになったため、致し方なく、ガス抜きをする「ベント」が実施される前であった。ベントとは、排気という意味だが、この場合は、原発内部から高濃度の放射性ガスを、福島県の空に放出する、という作業のことである。

つまり、住民の大量被曝に目をつぶって、「原発の大破壊を食い止める」、という非常手段がベントである。

絶対にしてはならないこのベントによって、福島県民は大量に被曝したのだ。
水素爆発やベント実施「前」に、
原発から大量の放射能が出ていた!

だが、実は、そのベントの実施が開始される前に、山田地区で1時間あたり32μSvを記録していた、というのが毎日新聞の報道内容であった。

実は、この山田地区にある農村広場は、「DAYS JAPAN」の測定者と共に、私たちが2013年7月下旬に入って、放射能を測定した場所であった。測定したところ、1時間あたり55μSvという異常な放射線量であった。事故から2年4ヵ月後でも、東京の1000倍だったのである。

しかも、土壌の放射能濃度は1平方メートルあたり1700万ベクレルを超えていたのだ。この数字は、チェルノブイリ原発事故の汚染地帯で、最も危険な「第一区」強制避難区域に指定された数値の11倍という放射能濃度なのである。

つまり、水素爆発やベントの実施前に、原発から大量の放射能が出ていた! ということは、原発内部の配管が破損していたという事実のほかに、原因は考えられない。

福島第一原発の原子炉容器を設計した田中三彦さんたちがたびたび指摘してきたように、地震によって、内部がメチャクチャになっていた可能性が高いのだ。現在は、放射能濃度が高いため人間が内部に入れないので、それを確認できないだけである。

東日本大震災を招いた「3・11東北地方太平洋沖地震」の揺れは、大津波によって、膨大な数の犠牲者を出し、福島第一原発の非常用電源をすべて奪い、全電源喪失という最悪の事態をもたらした。津波の脅威は、まことにおそろしいものであった。

だが、原発で記録された揺れは500ガル程度であり、トテツモナイ揺れではなかったのだ。それでも、配管が破損したなら、日本全土の原発の耐震性は、まったく信用ならない、という結論になるわけである。
大量の癌と心筋梗塞が激増する理由





その結果、福島県の児童に、大量の甲状腺癌が発生してきたのである。福島第一原発から170キロメートルも離れている茨城県つくば市の気象庁気象研究所では、沸点4877℃のテクネチウムと、沸点4612℃のモリブデンが検出されていたのである。

沸点とは、物質がガス化する温度のことだ。つまり原子炉の中は、4000℃を超えていたのだ。

したがって、テクネチウムより沸点の低い放射性物質は、上のグラフのように、ヨウ素、セシウム、ストロンチウム、コバルト、プルトニウム、ウラン、ネプツニウムが、みなガス化していたことは間違いないのである。



アメリカのロッキー山脈で、プルトニウムが検出され、東京の大きな公園の土からウランが検出されたのは、そのためであった。

その大量の毒ガスが放出され、プルトニウムを含む空気を吸いこまされたのが、われわれ東日本全域の人間であった。

そして、福島県から出たガスは、さえぎる山のない東京に向かって直進したのだ。
この地図は、日本列島を横にねかせて描いてある。

多くの放射性物質は福島・群馬・栃木・宮城・岩手・新潟の山にぶつかって落ちた。だが、東京・千葉の方向には、さえぎる山がなかったので、新宿の高層ビル街にぶつかり、神奈川・静岡にまで突進していったのである。

この
ダイヤモンド書籍オンラインシリーズでは、ホットパーティクルやトリチウムなどの作用をかなりくわしく解説してきたので、その内容は、本稿では省略する。

その結果、首都圏全域の人間を、これから大量に癌患者に変え、心筋梗塞を激増させるのだ。私の予測では100万人以上の命が奪われるだろう。それはすでに起こりはじめている。

それでも、この悲劇は、数十年にわたって起こるのだから、医学的な統計上は、100万人が殺されても、年間に換算すると小さな数字になってしまい、ほとんど気づかれない。
『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』をお読みいただきたい。

ご自分と家族の体を守るために……

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