2015年3月 7日 朝日新聞
http://apital.asahi.com/article/story/2015030700007.html
東京電力福島第一原発事故によって、被曝(ひばく)と向き合う暮らしが続く。福島で子育てをしている母親や、遠方へ避難している母親は、いま、どんな思いでいるのだろうか。
原発から約40~50キロにある福島県川俣町。山あいの民家が、幼児と母親を支援するNPO法人「コミュニティちゃばたけ」の活動拠点になっている。あたり一面、雪で真っ白な2月中旬の朝。幼児8人が母親に連れられてきた。週1回の3歳児託児教室「さくらんぼ」で、全員、東日本大震災の時には0歳だった。
「早くお外で遊ぼうよ」。子どもたちにせかされ、スタッフも含め全員が庭に出た。渡辺涼子さん(34)の長男も加わった。雪に絵の具で色をつけた「かき氷」をつくり、歓声をあげた。
渡辺さん宅は、住民が帰還できるように環境整備を進める「避難指示解除準備区域」になっている山木屋地区の隣にある。事故直後に義父が線量計を買ってきた。屋内を測ると、高いところは毎時0・6マイクロシーベルトあった。埼玉県の実家へ子ども2人と避難すべきか迷った。夫には仕事がある。家族が離れるのはためらわれ、とどまった。「家中の窓をテープで目張りするなど、子どもの被曝が心配で仕方なかった」しかし、子どもを屋内に閉じ込めておくのは限界があった。夏には自宅前をブラシでこすって放射性物質を減らし、ビニールプールで遊ばせた。ちゃばたけのママ友が理解してくれ、支えになった。
いま、屋内の線量は毎時0・09マイクロ以下に。食卓には義父母の家庭菜園の野菜が並ぶ。事前に近所の公民館で放射性物質の検査をし、検出されないことを確認している。「まだ避難中の人も多く、原発事故は終わっていませんが、自分なりに被曝と折り合いをつけ、生活しています」
ちゃばたけは、元幼稚園長の菅野幸子理事長(64)らが2006年に始めた。3歳未満の母子が週2回集う「ママサロン」は、10年度の利用者がのべ2100人いたが、事故後の11年度は1400人、12年度は739人に減った。12年度に庭を徹底的に除染した。砂場の砂を入れ替え、木を伐採した。時間制限していた外遊びが自由にできるようにした。13年度は利用者が1400人まで回復し、14年度はさらに増える見通しだ。
高橋イエティさん(45)は事故当日、ちゃばたけでスタッフとして働いていた。直後に母国インドネシアの在東京大使館から避難受け入れの連絡があった。川俣町出身で日本人の夫は仕事で残り、子ども2人と東京へ向かった。大使館が用意した避難所で、川俣に戻るか、子連れで帰国するかを考えた。現状を確かめて決めようと、2週間ぶりに川俣に戻った。自宅周辺の山や畑を見て、「私のふるさとはここだ」と感じた。結婚を機に来日して13年目で初めてのことだった。
12年、講習を受け、住民が公民館に持ち込む食品の放射性物質検査担当者になった。事故3年目以降、ほとんど検出されることはない。しかし、最近まで県内産の食品を買わなかった。「感情的に避けていましたが、少しずつ慣れてきました。被曝の影響は30年後に出るかもしれず、子どもの将来の心配がなくなったわけではありません。悩みながら子育てしています」高橋さんはいま、町内に図書館建設を求める活動に参加する。「子どもには被曝対策だけでなく教育や仲間づくりも大切です」
■避難者「いつか帰りたい」
「ちゃばたけ」を利用していた伊波寿子さん(45)は、夫(51)と、幼稚園から中学2年までの子ども5人とともに香川県小豆島町で暮らす。原発事故後、被曝が心配で川俣町から自主的に避難した。昨年、避難生活のストレスから夫はうつになった。伊波さんは一人でスペイン料理店を営み、家族を養う。川俣の自宅は山中にあり、比較的、放射線量が高い。子どもの学校生活も重要だ。末っ子が小学校を卒業するまでは、小豆島にいようと考えている。島の人たちは親切だ。ただ最近は「原発事故は収束しているんじゃないのか」などと言われることもある。伊波さんは生まれも育ちも川俣町。一家の住民票は移していない。子どもには「私たちは福島県人だよ」と話す。「福島は本当にいいところ。いつか帰りたい」
■甲状腺、生涯を通じ検査 事故当時18歳以下が対象
福島第一原発事故による被曝(ひばく)の健康影響を調べる甲状腺検査は、事故当時18歳以下だった約38万5千人を対象とする。甲状腺がんの有無を超音波検査でみる。生涯にわたって続ける予定だ。2014年3月までに1巡目がほぼ終わり、2巡目に入った。1巡目では110人ががんやその疑いと判定され、うち86人はがんと確定した。2巡目は14年12月末現在で8人ががんやその疑いとされ、うち1人ががんと確定した。
チェルノブイリの原発事故では3~4年後から主に乳幼児で甲状腺がんが増えた。県や県民健康調査検討委員会は「福島の2巡目でがんが見つかった人が低年齢層に集まっているわけではない」などとして、現時点では「被曝の影響とは考えにくい」とする。無症状の子どもを対象にした大規模な調査はほかに例がなく、比較できるデータがない。県は、1巡目の結果を自然に発生する子どもの甲状腺がんのデータとみなし、2巡目以降との比較で放射線の影響をみる計画だった。だが、「被曝線量が不明なままで影響がわかるのか」と疑問が出ている。手術の必要がないがんまで見つける「過剰診断」の恐れも指摘されている。
事故後4カ月間の外部被曝線量の推計は、もとになる行動記録を出した県民が3割に達していない。推計値が出ている一般の県民約45万人は、99%以上が5ミリシーベルト未満だった。
■低線量の影響、意見さまざま
低線量被曝(ひばく)の健康影響をめぐっては、専門家の間でもさまざまな意見がある。各国の放射線防護対策は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告にならっている。広島・長崎の原爆被爆者の追跡調査などをもとにICRPは、全身への被曝が100ミリシーベルトでがんの死亡リスクが約0・5%増えるとみている。
100ミリシーベルト以下の低線量の影響について、ICRPや国連科学委員会は「線量の増加に正比例して発がんや遺伝性の影響が起きる確率が増える」との考え方を採用している。これは「直線しきい値なし仮説(LNT仮説)」と呼ばれる。ある線量以下なら影響が出ないという「しきい値」はないとの想定だ。ただ、ICRPは、科学的にはまだ結論が出せるほど十分な根拠がないとし、「仮説を実証する生物学的、疫学的知見はすぐには得られない」と強調している。
低線量被曝と向き合う福島の現状について、識者ら4人に意見を聞いた。
■地域ごとの現状考えて
大分県立看護科学大・甲斐倫明教授(放射線防護学)
福島第一原発事故による被曝を「できるだけゼロに」と願う人は多いだろう。残念ながらそれは当面、無理だ。では、どんな状態を目指すのか。
ICRPは、復興に向かう今の福島県のような状態の住民の被曝の目安について、当面は年20~1ミリシーベルトの範囲の下方部分(10~1ミリ)としている。あくまでも目安で、これ以下なら安全だという境界を表す「しきい値」や、目標値ではない。
国が年1ミリを当面の目標としないのは、すべての地域に一律に「1ミリ」を課すと、避難の長期化など、放射線以外のリスクが生じる恐れがあるからだ。生活の中で、どこまで放射線リスクを優先して避けるのか。地域ごとに現状を踏まえながら考えることが大切だ。国が画一的に決めるのは現実的ではない。
また、被曝対策だけ切り離して考えるのも現実的ではない。福島県民の抱える不安や問題は、被曝や避難生活、子育て、失業など多岐にわたり、個人ごとに意見は異なる。何を優先し、予算や人を配分するのか。住民が被曝の実態を自ら把握できる仕組みを確立し、住民や自治体が十分に議論して決めるのが望ましい。
■子どもの検査の改善を
東北大・細井義夫教授(放射線生物学)
低線量被曝で健康影響があるかどうか、人の集団を調べる疫学調査では統計学的に意味のある結論が得られていない。それは、低線量被曝ではがんが発生しないという意味ではない。
放射線を浴びると細胞のDNAが傷つく。細胞にはDNAの傷を修復する何重もの仕組みがあり、通常は傷ついてもがん化しない。しかし、中には修復されないものが出てきて、がん化することがある。放射線の線量が高くなるほど、修復されない細胞が出てくる確率が高くなる。
低線量でも線量に比例して影響が出る可能性が高まるという「LNT仮説」に対し、細胞レベルの実験では、DNA損傷の修復機能が低下し、より高い比率でがんができるという研究がある。逆に、免疫力が活性化されてより修復機能が働き、がんになりにくいとの研究もある。現状ではLNT仮説が妥当だろうが、科学的に結論は出ていない。
福島県で原発事故の被曝でがんが増えるとしても、リスクは喫煙に比べてずっと小さいのは確かだ。ただし、子どもは成人より影響を受けやすい。甲状腺検査などを、被曝との因果関係がわかるように改善し、継続するべきだ。
■相談しやすい場所必要
郡山の小児科・菊池信太郎医師
2011年12月から月に1度、医院で甲状腺相談外来を開き、放射線の甲状腺への影響などに不安を抱く母親たちの相談に乗ってきた。当初は県民健康調査の検査を待ちきれない人や、検査結果の解説を聞きにくる人が多かった。甲状腺検査も2巡目に入り、最近は相談者が減った。放射線への不安をうまくやりすごしながら、日常生活を送っているように見える。それでも、ふとした時に、子どもの体力のことや甲状腺への影響など不安に襲われる母親もいる。
低線量被曝の影響をめぐる専門家の議論は、市民にはわかりづらい。統一の見解がないのであれば、さまざまな意見をもとに市民が判断していかなくてはならない。どこまでわかっているのかを、ていねいに説明してほしい。
同じ線量の地域に住んでいても、放射線への不安は人それぞれ違う。一人ひとりに向き合い、抱えている不安を軽減できるような手助けが必要だ。甲状腺検査とも長く付き合うことになる。そのためには気になった時に気軽に診てもらえ、話を聞いてもらえる場所が必要。身近なかかりつけ医に相談をしやすくする制度を県や国は充実すべきだ。
■「安全」と強弁、不信呼ぶ
福島県民健康調査検討委・清水修二座長代行
福島県の県民健康調査で、ほとんどの県民は事故後4カ月間の外部被曝が5ミリシーベルト未満だった。県や県立医科大学はこの結果について、疫学調査で100ミリシーベルト以下では健康影響が確認されていないから、「放射線による健康影響があるとは考えにくい」と評価する。しかし、これだと線量評価が出た時点ですでに、一つの結論を出してしまったことになる。こうした性急さが安全性を強弁していると受け止められ、県民の不信感を呼んでしまう。
一方、われわれ県民は、直面する被曝レベルが99ミリ~1ミリのどこに位置するのかを冷静に把握するべきだ。実際は100ミリに近い方ではなく、明らかに1ミリに近い方で、それだけリスクが低いということだ。健康影響の有無があいまいなままでは県民の不安は解消しない。少なくとも子どもの甲状腺への影響は解明するべきだ。甲状腺検査の枠組みも再構築が必要かもしれない。
健康影響がなくても、原発事故の被害がないわけではない。本来なら必要のない甲状腺検査を受けさせ、過剰診断の恐れが生じることなども被害の一部にほかならない。


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