2015/03/14

埼玉/原発事故4年 1階5階、交換認めず 埼玉のみなし仮設、2世帯退去

2015年03月14日 毎日新聞  東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/m20150314ddm041040088000c.html?fm=mnm

東京電力福島第1原発事故による避難者の「みなし仮設住宅」を巡り、自治体ごとに住み替えへの対応が異なる問題で、埼玉県内の団地の1階と5階に入居した2世帯が互いの階への住み替えを希望したのに認められず退去していたことが分かった。うち1世帯は退去後に移った民間アパートの家賃をいったん自己負担した後、国の原子力損害賠償紛争解決センターによる和解仲介手続き(原発ADR)で勝ち取っていた。

この団地は埼玉県上尾市の県営上尾シラコバト住宅。築48年でエレベーターのない5階建てが34棟並ぶ。埼玉県が「みなし仮設住宅」として提供し、ピーク時には約60世帯、今も約30世帯の避難者が住み続けている。

福島県南相馬市の旧緊急時避難準備区域に住んでいた男性(35)は原発事故発生直後、両親と共に神奈川県の親族宅に避難し、2011年6月から団地の1階に単身で入居した。低層階は日当たりが悪いためか風呂はカビだらけで羽アリもわいたという。翌12年2月に結婚したこともあり「上層階に移りたい」と埼玉県の住宅供給公社に求めたところ、「その理由では認められない」と退けられた。

男性は妻と共に12年9月、自ら探した近くのアパートに転居し、13年4月に転居後の家賃など約200万円を原発ADRで請求。東電は当初認めない姿勢だったが約半年後、避難中であることを認めて約170万円を支払う和解案を受諾した。

逆に下層階への住み替えを求めたが認められずに帰還したのは、同じ南相馬市から避難してきた男性(71)ら。11年4月、妻と共に団地5階の一室に入った後、持病の腰痛と股関節症が悪化して階段の上り下りがつらくなり、下層階への住み替えを公社に求めたが、「これから避難してくる人もいるから」と退けられた。夫妻は12年9月に南相馬の自宅に戻った。「住み替えをかたくなに認めないように感じた」と男性は振り返る。

この2世帯は互いに面識があり、住み替えを求めていることも知っていたという。原発ADRで転居後の家賃を勝ち取った男性は「自宅周辺は今も線量が高くて帰れず、避難先の住環境が悪くても我慢している人も多い。なぜ住み替えたら自己負担なのか納得がいかない」と憤った。【日野行介】


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