2015/03/11

佐賀/佐賀 避難者「永住か帰郷か」


2015年03月11日 佐賀新聞
http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/164965


■住宅「無償」期限迫る

東日本大震災から11日で丸4年を迎える。佐賀県内に避難している69世帯171人のうち、無償で入居できる公営住宅には37世帯94人が暮らす。これまで延長されてきた無償貸与の期限が、出身県によって異なるようになり、一部は今月末に迫っている。佐賀の暮らしに溶け込む中で、永住するか帰郷するか、揺れ動く避難者たち。住む場所をめぐって対応が分かれている。



住宅の無償提供期限終了を告げる通知書
福島県の85人に次ぐ24人と避難者数が2番目に多い茨城県。つくば市から鳥栖市に避難し、雇用促進住宅で生活するカオルさん(仮名)の元に、昨夏、無償期間終了の案内が届いた。傍らで遊ぶ次男(6)を眺めながら「誰が決めているのか分からないけど、これまで毎年延長されてきた。ついに終わったのかという感じ」とつぶやいた。



4月以降は家賃が発生する。敷金など合わせて約25万円の初期費用がかかり、家計に大きな負担がのしかかる。とどまるかどうか。揺れ動いた。

4年前、震災による家屋倒壊は免れた。しかし、福島第1原発事故が当時4歳と2歳の息子にどういう影響を及ぼすのか不安が募った。ある日、駐車場の隅にたまった雨水の放射線量を測ると、基準値をはるかに上回る数値が出た。「ここにいる限り被ばくは避けられない」。子どもが大人より甲状腺がんのリスクが高いと聞き、購入したばかりの家を離れた。

「できるだけ遠方へ」。避難受け入れ先の情報を探す中、見つけたのが鳥栖市の雇用促進住宅だった。2011年7月、子ども2人を連れ佐賀の地を踏んだ。夫も1年後に合流した。

長男の小学校入学、次男の幼稚園通いがきっかけとなり、徐々に地域との交流も増えた。「夫も草野球仲間ができたり、私もママ友が増えた。何より、子どもたちが自由に外で遊んで、安心してものを食べられる」。夫の新しい仕事も順調になり、休日にはサガン鳥栖観戦も。このまま住み続けるのも悪くない-との思いがよぎった。

一方で茨城に残る70代の両親が気がかりだった。「今は九州にも遊びに来るほど元気だが、10年後はどうなるか」。茨城から鳥栖へ避難した知人の親族に不幸があり、慌てて帰る姿を目の当たりにした。自分にもいつその瞬間がくるか、遠方にいる親への思いが募った。結局、次男の小学校進学も考慮、つくば市への帰郷を選択した。

 
決断したものの、ある高齢女性が漏らした言葉が頭から離れない。「地元の家は倒壊して住める状態じゃない。鳥栖に住み続けるにしても年金暮らしでどうすればいいのか」。カオルさんは「県や地域で大別するのではなく、個人の実情に合った対応が必要だ。入居中は書面で通知が来るだけ。対面でのヒアリングなどはなかった」と疑問を投げ掛ける。

県政策監グループによると、今回無償貸与期限が切れる茨城、栃木両県の公共住宅居住世帯のうち、1世帯が帰郷、1世帯が県内での転居予定で、残る7世帯は未定という。宮城、岩手、福島3県の一部地域は来年3月まで期限延長が決まっている。

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