2015/03/11

鳥取/「感謝でいっぱい」 片山さん一家、福島に帰郷へ

2015年3月11日 日本海新聞
http://www.nnn.co.jp/news/150311/20150311007.html

東日本大震災に伴う福島第1原発事故で、子どもの健康への影響を恐れて福島県郡山市から鳥取市に避難した片山さん一家。一時は定住を決めていたが、この春、家族の病気を機に帰郷する。いまだ放射線の影響が心配される地元へ戻ることにためらい、悩んだ末の決断。やるせない気持ちの一方で「たくさんの人が受け入れ、支えてくれた。感謝の気持ちでいっぱい」と、鳥取への思いをかみしめる。

片山春美さん(33)は2011年8月、当時生後8カ月~4歳だった4人の子どもを連れて母子で避難した。当初は夏休みだけのつもりだったが、「線量を気にせず子育てできる環境がいい」。12年4月には夫の亮さん(33)も移住。一度は広島に移るなどしながらも、夫妻とも新たな仕事を持ち、一家6人鳥取で暮らしてきた。

■■不安と不信
春美さんの父(63)に末期のがんが見つかったのは、昨年10月。実家では、母(60)が90歳を越えた祖母の介護も担っている。「帰らなきゃいけない時が来るとしても、もっと先だと思っていた。子どもが大きくなるまでは避難を、と考えていたけど…」。決断を迫られた。

4年がたつ現在も原発事故収束のめどは立たず、春美さんは「将来、もし子どもの体に影響が出たら」という不安が拭えない。亮さんも「ずいぶん後になってから汚染水漏れが発覚したり。まるで後出しじゃんけん」と、電力会社や国に対する不信感を募らせる。

地元に残り続けた人との“感覚の違い”もある。「『避難できた人はいいよね』とか『逃げた』とか。白い目で見られるかもしれない」(春美さん)。線量について、友人やきょうだいとすら話題にできないのが実状だ。「私たち親ができる限り気を使って、子どもを守っていくしかない」。いろんな戸惑いを抱えながらの選択だった。

■■大きな存在

春美さんは、とっとり震災支援連絡協議会の支援コーディネーターとして12年の設立当初から勤務。相談役はもちろん、行政との橋渡し役にもなりながら、県内の避難者と関わってきた。「たくさんの人とつながっていられて、私自身が救われていた」と振り返る。

佐藤淳子事務局長は「同じ避難者の彼女だからこそ、どんな具体的支援が必要か、何が課題なのか見えてきた。人と人とのつなぎ役としても、本当に大きな存在」と春美さんが担ってきた役割の大きさを語る。

■■感謝と願い

「鳥取に住んで“当たり前の生活”が送れたことが、何より大きい」と片山さん夫妻は口をそろえる。外で思い切り駆け回る子どもたち。安心して食べられる食材。困っていることがないか声を掛けてくれるなど、支援者をはじめ保育園の先生、ママ友達など、地域の人の温かな支えに救われる場面が何度もあった。

「うれしかったことは、あり過ぎて挙げられないくらい」と春美さん。一方で、自身の経験から「誰にいつ何が起きるか分からない。地震や津波、原発事故のこと、いろんなことを知っておいてもらえたら」。感謝と願いを胸に、鳥取を後にする。


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