2016/06/28

原爆症認定や水俣病の裁判に携わった弁護士・尾藤廣喜さんインタビュー

2016年6月28日 カタログハウス
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「福島原発事故から5年たったいま、大規模母数・同一方法による健康診断の継続と手記などの行動記録を残すことが必要です」

東京電力福島第一原発事故は、発生から5年経った現在もさまざまな面で
継続しています。そのひとつが、甲状腺がんをはじめとする健康被害。原爆症認定や水俣病裁判の弁護団を務めた尾藤廣喜さんは、「被ばく影響を考慮した健康診断と、手記などの行動記録を永年保管すること」の必要性を訴えています。その理由を伺いました。
取材・文/中村純




──福島県が実施する「県民健康調査」では、甲状腺がんの悪性ないし悪性疑いと診断されている人は166人。手術で甲状腺がんと確定した人は116人となりました(2016年2月15日 第22回福島県「県民健康調査」検討委員会の報告による)。
検討委員会では、「福島における甲状腺への等価線量被ばくは、チェルノブイリと比較して低い」という見解を確認されています。福島県での小児甲状腺がんの多発は、原発事故との因果関係を認めることはできるのでしょうか。

尾藤 甲状腺がんの多発と原発事故の因果関係について、国や東京電力は徹底的に争ってくるでしょうから、最終的には裁判をして原因者の責任を明確にするまで、確定できないことになるかもしれません。この裁判には、多くの疫学的データが必要です。しかし、原発事故から5年で甲状腺がんが多発しているという「事実」は大きい。今は、この事実に、国や東電、福島県や避難した方たちのいる地域の医師がどう対応するか、ということなのです。十分な疫学的データもない現段階で「放射線の影響は考えにくい」と結論づけることはできないはずです。ましてや、福島県以外のエリアは十分な健康調査もしていない。国はもっと広い範囲で健康調査をするべきです。

──因果関係を確定するにせよしないにせよ、いまはまだ十分な疫学的データがそろっていないということですね。

尾藤 そうです。日本は原爆被害を経験しています。また、ビキニの水爆被害を経験している。当然、放射線による人体への影響はあり得るものとして人々の健康管理をするべきです。小児甲状腺がんが事実上多発しているなら、当然原発事故の影響が「あり得る」ことを考慮しながら、国や県が大規模で継続的な健診を続けるべきなのです。

──尾藤さんは厚生省出身で、水俣病京都訴訟弁護団事務局長や原爆症認定集団訴訟全国弁護団副団長を務められました。水俣病と原爆症認定裁判から、福島原発事故後の健康管理で参考にすべきことはどんなことですか。

尾藤 放射線による被曝の被害は、短期的な被害だけでなく、長期的な被害が大きな問題となります。原因者(福島第一原発事故においては、東電・国)は、この被害に対して、将来放射線によるものかどうかという起因性を必ず争ってきます。補償の金額を抑えたいからです。 因果関係を原因者に認めさせるためには、被害者に立証が求められます。被爆後70年以上経った原爆症の認定でも、公式発見後60年経った水俣病の裁判でも、加害企業であるチッソと国は原爆症・水俣病の病像(病気を特徴づける症状などの性質)について徹底的に争っています。

1993年11月、水俣病京都訴訟勝訴判決後の環境庁前にて。
中島晃弁護団副団長や学生支援の皆さんとともに。

例えば水俣病では「有機水銀と疾病の因果関係」、原爆症認定では「放射線と疾病との因果関係」を被害者が立証しなければならないのです。水俣病も原爆症も、ほかの原因で発生した症状と区別すること自体が難しい。水俣病には特異性のある症状もあるのですが、放射線の影響は全身に及びます。現在、甲状腺がんだけが問題になっていますが、高血圧、心筋梗塞、肝機能障害、免疫機能への影響として、C型肝炎やB型肝炎なども起こり得るのです。そういった症状が、早くて10年後、遅ければ30年、40年後に出てくる。

加害者側は、「加齢による影響ではないか」「放射線と関係はありません」と必ず言ってきます。因果関係を証明するには疫学が極めて重要です。それでも「放射線を浴びていない人と比べて有為の差がある」ということを被害者側が証明する必要がある。そのために健康調査をして、健康の推移を明らかにしていく。できるだけ多くの母数で健診をし、これを長期継続していく必要性の理由は、ひとりひとりの単発的な健診や診療では変化がわからず、他との比較もできないからです。「大規模母数であること、健診内容の共通性、データの共有制、長期継続性」が因果関係の立証に大きく寄与するための条件です。

原爆症について70年以上経って認定を問題にできる理由は、比較的長期間の、しかも多数の被爆者のデータがあったからです。米軍がABCC(原爆傷害調査委員会)で「原爆の効果を確かめたい」という軍事目的で被爆者のデータを収集しました。私たちはそのデータとその後の放射線影響研究所のデータを公開させ活用し、被害の救済という目的に使いました。

水俣病認定が混迷している理由は、被害者のデータが少ないからです。加害企業のチッソも国も、調査をしなかった。水俣の健康調査は、一部の医師たちが手弁当でしたのです。医師の原田正純先生(注1)や、藤野糺先生(注2)など熊本県民医連の医師たちの努力がなければ、水俣病被害者は泣き寝入りせざるを得なかった。

(注)原田正純…鹿児島県出身の医師。熊本大学医学部卒業。水俣病と有機水銀中毒に関して、患者の立場から徹底した診断と研究を行なった。著書に『水俣病』(岩波新書)など。『水俣が映す世界』(日本評論社)で大佛次郎賞を受賞。

(注)藤野糺…熊本大学の水俣病第二次研究班のメンバー。1970年6月から水俣病患者を診察するようになり、治療も補償もされず生活苦にあえいでいた多くの患者を目のあたりにし1974年1月に水俣診療所を設立した。

──現在の健康管理という理由だけでなく、将来、がんや疾病が起きたときに、原発事故による放射線との因果関係を立証するためにも、大きな母数の継続的な健診が必要ということなのですね。

尾藤 大規模な範囲で原発事故の影響のある母集団だけでなく、事故影響の比較的少ない地域の母集団の健診データを集めて、比較のための材料を保存することも大切です。福島県内だけでなく、すべての被害者が救済の対象になるようなシステムを、今から作っておく必要があります。福島第一原発の事件は、今のままにしておいたら、健康被害があっても、泣き寝入りをさせられてしまうでしょう。市民団体が実施している手弁当の健診だけでは、疫学的データとしては不完全です。甲状腺がんのことですら「放射線の影響はない」などと言われているわけでしょう。

放射線被害は、甲状腺だけが現在話題になっていますが、原爆の経験からすれば、もっともっと広い範囲の症状が問題となり認定されています。原爆の放射線被害としては、すべてのがん(胃がん、肝臓がんなど)や、心臓疾患(狭心症・心筋梗塞)、肝機能障害、甲状腺機能低下症、糖尿病などについても、因果関係が認められています。甲状腺エコー検査だけでなく、血液検査・心電図・診療カルテの保管など、総合的な健診記録が必要です。

──福島原発事故後、関東では市民が「関東健康調査基金」を立ち上げて、自分たちで甲状腺エコー検査機を購入して集団健診を続けています。東日本や西日本の避難者には、民主医療団体連合会(民医連)が健診を行ない、2014年度末までに3772件(2016年度末は集計中)の実績があります。私は「内部被曝から子どもを守る会・関西」をつくり、京都民医連・京都府保険医協会とともに、京都府下に避難している方々への無料健診をしているのですが、健診は保険診療ではないのでひとり6500円の健診費用がかかり、その予算を確保するのも大変です。

尾藤 本来は、加害企業の東電や国・行政が健診を実施し、費用負担すべきです。もともと国が大々的にプランニングして健診を組織しなくてはならないのです。

──福島の県民健康調査も納得のいかない思いを持たれている方たちも多いのですが、福島県内では一番大きな調査ではあります。原爆のあとのABCCの調査を情報公開させ、認定裁判に利用したように、福島の県民健康調査も、のちに情報公開をさせてデータとして利用するという方法もあるでしょうか。

尾藤 水俣病でも、県の調査は一定の方向に結論をもっていこうという調査だったので、被害が出ていても無視されました。国や県や加害企業に、調査をさせなければならないけれど、それについてのデータの公開と民主的な検証が大切です。その検証がなければ、国や県や加害企業の調査は信用できない。だから民間で健診をせざるを得ないという過渡期の時期はあると思います。

御所浦島の被害者掘り起こし調査。村井豊明弁護士とともに。

水俣病のときは、医師がボランティアで住民の悉皆(しっかい)調査を行いました。熊本県民医連の医師たちが、後に全日本民医連をあげての取り組みとなる水俣の近くの桂島の住民の全員の調査(注3)をしました。全員調査をしないと、疫学調査としては意味が少ない。加害企業は「サンプリング調査ではデータに偏りがあるから、何の意味もない」と必ず言ってきます。

(注)桂島の住民の全員の調査…桂島は水俣市から南西に12km離れた離島。1975年、水俣診療所の藤野医師と当時のスタッフは、この桂島を汚染地域として調査し、鹿児島県奄美諸島の一漁村と比較する疫学調査を開始する。その結果、桂島の住民は奄美地域と比較して、感覚障害、視野狭窄、その他の症状が有意に多く、感覚障害のみの患者から、ハンターラッセル症候群の症状(運動失調、言語障害、ふるえ他)を持った最重症の患者まで多彩な病像を示していた。この研究により、感覚障害のみを有する水俣病の存在が医学的に示され、検診を受けた桂島の住民の多くが水俣病に認定されることになった。

──広島では、被爆者手帳がありましたね。

尾藤 被爆者手帳を求める運動があり、その結果国の責任で、各都道府県レベルで、被爆者が希望すれば無料で健診受診ができるようになり、データの継続的な保存もできるようになりました。しかし、原爆症の認定制度は実は財務省の予算枠で決まり、被害者実態に依拠しているものではありませんでした。そのため、私たちが訴訟を起こし、被爆者認定制度を実態にあわせる運動をしました。

福島原発の被害範囲は、広島・長崎の原爆より広範囲にわたります。しかし、ほとんど健診データを取っていない。10年後、20年後、放射線でがんが発生したとしたら、健康被害を立証するためには、データが必要です。

──本来は福島県だけでなく、東北・関東で、原発事故で放射能が拡散したと思われるエリア全体での健診が必要ですね。

尾藤 関東でも多く放射線被害の影響があると思います。心配です。

──関東では、市民たちの要請に基づき、希望すれば健診を受け、助成を受けられる体制をとっている自治体もあります。常総生協と市民たちが、「関東健康調査基金」を立ち上げ、自分たちで健診を実行しておられます。「放射能からこどもを守ろう関東ネット」という市民団体は、自分たちで健診実行委員会を結成されているほか、自治体や国に健診と助成の交渉をしているそうです。千葉県の柏市、我孫子市、松戸市、茨城県の牛久市、常総市、つくば市など、関東の自治体の複数で甲状腺エコー検査と助成をするようになっています。

尾藤 正しい活動だと思います。大規模健診の実施と記録の保管、自治体・国との交渉、さらに原発事故被害者の健康管理手帳を求めることが必要です。

──原発事故後、京都府におられる避難者の「避難移住者の手記」(内部被曝から子どもを守る会・編)を2冊編集制作しました。各地で、避難者・被災者の方の手記も発行されています。裁判のときの行動記録として手記も有効ですか?

尾藤 原爆症裁判のときに、原告の方と同じ地域の方の手記を探してきて、原告の被爆した地域の状態の証明に役立てました。原爆投下後に家族や親類などを探して広島市に入った、いわゆる入市被爆者の認定でも、手記は有効でした。

同様に、原発事故後の行動記録、手記、健康データは、将来の被害回復や症状の認定裁判のためにも本当に大切です。

水俣病の裁判でも、「どのような症状がいつごろからあったか」ということが、いつも問題になっています。原爆症の認定では、「初期症状とその後体の状態がどう変化したか。いつどのような病気になったのか」ということが、認定に役立ちました。

──原爆症や水俣病の認定のために、闘っている人たちを動かしてきたものは、どのようなことだと思われますか。

尾藤 水俣病や原爆の被害者と接していて感じたことは、「自分がこのような状態になっているのは何が原因か」という責任の所在を明らかにしたいという「思い」でした。お金の問題ではないです。亡くなる直前でも、生きているうちに原爆症や水俣病の認定を受けたい、という方たちは「自分の体がこうなったことの責任を明らかにして問いたい」という、人としての尊厳に動かされていました。
2006年5月12日、近畿原爆症認定訴訟全員勝訴判決の日に、原告の皆さんとともに。

今から30年前、法律扶助協会から頼まれて原爆症認定裁判の代理人をお受けしました。京都在住の小西建男さんという方が、弁護士をつけずに訴訟をしているから、扶助協会の京都支部で代理人になってくれ、という話でした。私はかつて厚生省に在籍していたので、原爆のことがわかるだろうということでした。私は、厚生省では医療保険と生活保護の担当でしたから、原爆のことは素人でしたが、誰も引き受ける人がいなかったので引き受けました。

当時小西さんは生活保護を受けておられましたので、「被爆者が認定され、手当てがでるようになれば、手当は収入認定されて、生活保護費は打ち切りになるかもしれない。小西さんにとっては、経済的メリットはないですよ。それでもいいですか」とお話しました。小西さんは「そんなことはわかっています。私は、国の命令で京都府の亀岡から和歌山、さらにモールス信号をマスターするために、広島の船舶通信補充隊に派遣され、兵舎で原爆に遭いました。私を徴用した国の行為と、米軍の原爆投下という行為によって、私は被爆させられた。私は一般の生活保護という福祉を受けるのではなく、原爆症の認定によった原爆の給付を受けたい。それは同じお金ではないのです。被爆者として生きていきたいのです」とおっしゃったのです。私はこの「思い」に感激しました。

──原発事故の自主避難者の住宅支援があと1年で打ち切りになり、福島県に帰還する方たちもおられます。避難継続を希望する世帯の所得に応じて、公営住宅の優先入居の応募が受けられる「福祉・支援施策」を実施している自治体もあります。本来は、避難者の住居や生活は、国と福島県、東電が補償すべき問題ですね。

尾藤 一般の福祉施策ではなく、原発事故があったことによって受けた被害に対して加害者から補償を受け取るというのが正当な要求です。小西さんの場合と同様、福祉としての支援ではなく、原因者による補償を実現するのが私たち弁護士の仕事です。

国や県が、勝手に原発事故影響地域の線引きをして、「安全宣言」をする。放射線は低レベルでもがんは発症し得るのに、勝手に安全だと宣言して帰還を促して補償は打ち切る。東電、国は企業の利潤と財政を考えて補償をできるだけ抑えたいのです。本来は、東電と国が責任を持つべき問題です。被害は完全に救済されなくてはならない。これは、人間の尊厳の問題なのです。


尾藤廣喜(びとう・ひろき)1947年、香川県生まれ。京都大学を卒業後、1970年に厚生省(現・厚生労働省)入省。1975年、京都弁護士会に弁護士登録。水俣病京都訴訟弁護団事務局長や原爆症認定集団訴訟全国弁護団副団長を務める。貧困・生活保護の問題にも取り組み、日弁連・貧困問題対策本部副本部長、生活保護問題対策全国会議代表幹事、全国生活保護裁判連絡会代表委員。著書に『生存権』(共著・同成社)、『これが生活保護だ――福祉最前線からの検証』(共著・高菅出版)ほか。最新刊に10名の執筆陣による共著『ここまで進んだ! 格差と貧困』(新日本出版社)がある。

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