詳細については、OurPlanetTVサイトよりご覧ください。
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放射線審議会が2018年1月に取りまとめた文書「放射線防護の基本的考え方の整理」原案に、原子力災害における現存被曝状況の参考レベルとして「10ミリシーベルト以下」とする「10ミリ基準」の表記があったことが、OurPlanet-TVの取材でわかった。原子力規制庁の事務局は公表前の原案を内閣府に共有。審議会の審議資料から削除していた。
「放射線防護の基本的考え方」は、放射線防護の基準の統一をはかる目的で、2017年9月に検討を開始したもの。国際放射線防護委員会(ICRP)メンバーでもある甲斐倫明大分県立看護大学教授が原案を執筆した。
内々の共有メール
甲斐氏の執筆した原案には当初、原子力災害後の「現存被ばく状況」における「参考レベル」について、「10ミリシーベルト以下」とするとの記載があった。規制庁職員は、これを内閣府原子力被災者生活支援チームの担当者に内々に送付。内々にコメントを求めた。
「情報の取り扱いの観点から、本件は基本的には長谷部様限りにしていただくようお願いいたします」と断り書きをしていた
これに対し、内閣府の担当者は参考レベルの「10ミリ基準」について「最大の懸案事項」と指摘。電話で懸念と伝えるとともに、「地元や訴訟等で最も指摘される20mSvを解除のスタートラインとして設定していることへの批判リスクあり」と文書に直接、コメントを書き入れ、「バタバタの調整で大変かと思いますが、何卒ご高配のほどよろしくお願いいたします。」と修正を求めた。
支援チームが「最大の懸念点とコメントしていた
「放射線防護の基本的考え方(案)」への支援チームコメント
支援チームが「10mSv基準」を「批判リスクあり」と恐れる理由
内閣府の「原子力被災者生活支援チーム(支援チーム)」は、福島原発事故後の3月下旬に原子力災害対策本の下に設置された、主に経済産業省からの出向者で構成されている組織だ。原発事故に伴う避難指示や解除を行ってきた。2011年4月には、飯舘村や川俣町山木屋など、年間20mSvを超えた地域を避難指示区域に指定。根拠にしたのは、ICRP2007年報告書の「緊急被曝状況」の参考レベルをだ。
ICRPの勧告では、原子力災害後を二つの時期に分け、防護対策の目安ともいうべき「参考レベル」の値を勧告している。事故直後の「緊急時被曝状況」では20~100mSvを参考レベルとする一方、復旧期の「現存被曝状況」では、参考レベルを「1~20mSvのバンドの下方部分から選択すべき」というものだ。
政府は避難指示の基準を20mSvに設定した一方、同年12月には避難指示解除の要件も「年間20mSv」と決定。2014年4月の田村市都路を皮切りに避難指示の解除を進めてきた。
ただ住民の多くは、この「20mSv基準」に反発してきた。というのも、そもそも公衆の被曝上限が年間1mSvであるうえ、チェルノブイリでは、原発事故後5年目に成立した「チェルノブイリ法」で、強制避難地域の基準を年間5mSv、年1〜5mSvを「避難の権利」ゾーンとしていたためだ。またICRPの勧告でも、「現存被曝状況」の参考レベルを「1~20mSvのバンドの下方部分から選択すべき」としているため、年間20mSvは高すぎるとの批判が根強く、1mSvに引き下げるべきだとの声が上がっていた。
さらに問題を複雑にしたのは、政府自らが決めた除染目標だ。年間1mSvという除染目標と20mSvという避難基準との間に大きな幅が生じたため、住民に混乱を与えてきた。福島県内の首長の中には、除染目標を年間5mSvに緩和するよう求める声もあがったが、住民から新たな批判が噴出することを恐れた政府は見直しを断念。「年間1mSv」と「年間20mSv」という2つの基準を維持したまま、現存被曝状況のおける「参考レベル」を曖昧にしてきた。
「配慮できるように動いていきます」
こうした中で、放射線審議会の文書に登場した「10mSv/年」の表記。ICPR勧告で「1〜20mSvのバンドの下方」とされている「現存被曝状況」の参考レベルが、具体的には「10mSv以下」を指すことが、ICRP委員である甲斐氏の口から語られれば、寝た子を起こすことになりかねない。支援チームの懸念を共有する規制庁職員は、担当者にこう返した。
「お電話いただいたような問題意識は深く理解しております。
(そのためにも内々に共有したところです。)
イチオシの問題意識についてはメールいただけるとのことですが、
少なくとも先ほどお電話いただいたところについては、
11月10日までに配慮できるように動いていきます」
原子力規制庁寺谷氏から内閣府原子力被災者生活支援チーム長谷部氏へのメール
規制庁放射線防護企画課と内閣府原子力被災者生活支援チームのメール
規制庁は急遽、審議会の委員に文書の原案を送付。委員にコメントの送付を依頼し、一部の委員の意見をもとに、文書の一部を修正した上で、「甲斐委員案」として11月10日の放射線審議会で公表した。新たな「甲斐委員案」に「10mSv基準」の文字はなかった。
放射線審議会の事務局を担う放射線防護企画課の佐藤暁課長は総会の冒頭、委員に事前に資料を送付したと述べ、「事実関係の補足や表現の明確化」のために、事務局で文書を修正したと説明した。また2日前までに届いた意見は、「事務局で整理して資料としてまとめた」などとして、原案も掲載された補足資料を配布した。
ただ公表された「甲斐委員案」は、委員からの指摘がないところも修正されていた。例えば、問題の「10mSv/年以下」との記述の前段には、「
状況を徐々に改善するために中間的な参考レベルを採用するなどして」との記載があったが、ばっさり削除されていた。支援チームが問題視していた箇所だ。
しかも、この部分は、委員の指摘をまとめた補足資料からもまるごと消されていた。このほか脚注には当初、「
10mSv(参考レベル)」との項目があったが、全部で15項目あった原案の脚注は、補足資料から丸ごと削除され、委員のコメントだけが記載されるという不自然な形となっていた。「
10mSv(参考レベル)」という表現は、年20mSvという基準を強行してきた政府にとって致命的といえ、補足資料に入れることもできなかったと見られる。
甲斐委員原案の脚注
「10mSv(参考レベル)」の表記があった
第137総会の補足資料「137-1-2 号」の脚注部分
原案がなく、委員のコメントだけを記載している
このほか遺伝的影響についても、「
動物で影響が確認されているため、ヒトにおいてもその可能性を否定することは難しく、マウスの実験データを基に理論的にリスクが推定されている」という記述のうち、「
ヒトにおいてもその可能性を否定することは難しく」という箇所が削除された。ここも、委員でなく、支援チームが修正を要求していた箇所だ。
また脚注の7番目には、「
100mSv以下の、いわゆる低線量における影響の有無については、はっきりしていない」という項目があったが、これも、支援チームが「誤解を招く表現」と指摘。「
はっきりしていない」という表現が削除された。
100mSv以下の確率的影響については、直線しきい値なし(LNT)モデルが妥当かどうか、避難者らが国を訴えている損害賠償裁判で大きな争点となってきたが、放射線審議会という独立した機関の「考え方」を、規制される側である支援チームが不利になる記載の修正を求め、審議会事務局が応じていたのである。
2017年11月10日開催された放射線審議会第137回総会
規制庁は「とくに問題なし」との認識
放射線審議会は、放射線防護に関する技術的基準の設定を扱う諮問機関のため、透明性と独立性が重視され、審議は原則公開となっている。このため通常は、委員の意見をメールで意見を集める際は、会議内で了承を得るほか、どこが変更されたかが分かるよう、「見え消し版」を公表することも多い。
しかし第137回総会直前に実施された委員の意見聴取と文書の修正プロセスは、これらの手続きが一切なかった。前回9月に開催された136回総会で、事務局の佐藤課長は、甲斐委員の原案をもとに次回の総会で議論を深めることを予告。10月27日に神谷研二放射線審議会長(当時)同席で開催された打ち合わせでも、議事録を見る限り、委員から事前に意見を集める手続きについては議論されていない。
当時、放射線審議会の総会に出席し、「基本的考え方」の議論の進め方を主導していた片山啓審議官(当時、現在は原子力規制庁次長)に事実関係の確認を求めたが、回答を拒否。放射線審議会の事務局を担当する放射線防護企画課によると、いつ誰が、この方針を決めたのか一切分からないという。また、いつの時点で、委員に文書を送付したのかも不明だという。
片山啓審議官(当時)
規制庁職員と支援チームとのやりとりを示すメールや文書は、OurPlanet-TVが2019年に情報公開請求によって開示した際は、送付先が行政機関であったにもかかわらず、部署や氏名などは黒塗りだった。また支援チームが修正を求めた箇所や指摘内容も全て黒塗りだった。理由について規制庁は、「公表を前提としない担当者限りの条件下で行われた意見交換に係るものである。これが公にされることによって、当該行政機関と原子力規制委員会との率直な意見交換が不当に損なわれるおそれがある」などとしていた。
支援チームの部署名と官僚の名前、「参考レベル10mSvの記載箇所」と書かれたところが黒塗りだった
その後、OurPlanet-TVが黒塗りのないメール文と文書を独自に入手。裏付けの取材の過程でも、今年3月までは事実関係を認めていなかった。しかし、今年6月に対応が一転。委員の意見聴取経緯について改めて情報開示請求を行ったところ、黒塗りのないメールと文書が開示された。
原子力規制庁は、支援チームに文書を提供したことについて、関心を示した省庁に照会しただけで、特に問題はなかったとしている。また、支援チームの意向を反映していたことについては、回答していない。
一方、甲斐委員は、事務局が支援チームに原案を提供していたことは「知らなかった」とした上で、「今後、放射線審議会の独立性が疑われないように事務局としっかり連携していきたいと考えています。」とメールで回答した。また「10mSv基準」について、Publication111を念頭に置いていたと回答。同時に当時、ICRPでは福島事故を受けた新たな報告書のドラフトがほぼ完成しており、その参考レベルが「10mSv以下」だったため、この記載したという。
政治と科学との関係を研究している藤岡毅大阪経済法科大学 21世紀社会総合研究センター 客員教授の話
放射線障害を防止するために、専門家が議論する審議会の事務局が、福島事故後の避難解除基準値を決めてきた内閣府原子力被災者支援チームに内部文書を送り、行政の意向を反映したとすれば、明らかにおかしく、不当だ。
ただ放射線審議会はそもそも政府や原子力産業に忖度する傾向の強い専門家
を中心に委員が選ばれており、そうした枠組みを作り、委員を選んでいるのが、事務局の官僚であることを考えれば驚きはない。今回の件は、放射線審議会のあり方自身がおかしいことの証左だと感じる。
また政府は福島原発事故後、ICRPの勧告を都合よく解釈し、避難指示や解除の運用を行なってきたが、今回のことで、ICRPをねじ曲げても年20 mSv基準を固定化し自らの政策を正当化するという露骨な姿勢が裏付けられたと言える。
放射線審議会はこの年の4月に法改正し独自の調査・提言能力を有するようになったが、住民を被曝から守ろうという姿勢は薄く、まさに危惧している点が具体的に現れたケースと解釈できる。放射線審議会のあり方を再吟味し、少なくとも被害住民や公衆の立場に立つ専門家を複数名委員に加えるべきだろう。