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清水奈名子先生のご専門は、国際機構論や国際法。戦争の犠牲者はなぜ一般市民が多いのか、国家は市民を優先的に守らないという問題について研究されています。日本では、沖縄戦、戦後の引揚げ者問題、戦災孤児など、市民が犠牲になった歴史がつい70年前のこと。2011年に原発事故が起こった時に、これだけ多くの避難民化した人たちがいるのに、政府はここまで市民を守らないのだ、という現実を目にした思いだったそうです。
先生自身も、栃木にお住まいで、翌日ラジオで原発事故を知り、教え子からは「窓を閉めて換気扇を止めて」と連絡があったそうです。関西では何ごともなかったように日常が流れていたことにがく然とされたとか。大学は、計画停電の中で卒業式を行いますが、それはちょうどプルームが流れてきた時期でもありました。一方で、栃木県には避難されてくる方も多かったわけです。ご自身が安全保障の専門家なので、原発事故は関係ないと言えないと、「福島乳幼児・妊産婦支援プロジェクト」「福島原発震災に関する研究フォーラム」を中心に関わってこられました。
以下、先生のお話の中からまとめました。
いじめの背景にあるものは
原発避難した子どもたちへのいじめは、社会構造や人々の中にある差別意識が、子どもたちの中に噴出しているわけですが、原発を稼働するかどうかも決められない子どもたちに向けられた社会の牙でもあります。加害者である特定の子どもを「問題児」と分類してしまうことで、いじめという認定もせず、背景にある構図をうやむやにしてきました。しかし、明らかに「避難」によるいじめだったということが、保護者の粘り強い対応でわかってきたのです。背景には原発事故や被害の実態に関する無理解不理解があります。探せばもちろん信頼に足る情報もありますが、これほど労働環境が悪い中、日々疲れすぎて、社会問題などの情報を取りに行く気力がないという現実もあります。
そこには「社会に役立たない人」を切り捨てる優生思想が根強くあります。「福島出身者は嫁にできない」という言葉には、女性差別と障害者差別が入り組んだ構造になっていて、女性を「子を産むため」としか見ない差別、そして放射線の影響を受けた者は障害者を産むのではないかという時、そこには障害者に対する差別もあります。
健康とみられる人たちも、加害者になりかねないのです。たとえばジェンダー、たとえば偏差値など、身近にたくさんあります。差別する人を非難するのは簡単ですが、それでは、どのように乗り越えていけばよいでしょう。そこを考えていきたいです。
また、金銭賠償、慰謝料をめぐる偏見もあります。なぜか「被害者はお金をもらっている」ということだけはよく知られていて、避難解除されたのに避難しているのは、お金が欲しいからだろうと言われた方もいます。大人がしている会話を聞いた子どもたちは、大人の会話をコピーしてしまいます。今では、大人とよりも、テレビやメディアと会話し、それをコピーしているのです。
調査から見えてきたもの
この間、さまざまな当事者の声を聴いてきました。当事者は、記録する余裕がないし、記録がないと、全てがないことにされてしまうのです。たとえば、子育て世帯の不安について、2012年と2013年にアンケート調査を行いました。2012年のアンケートでは、那須塩原市の私立園2園の保護者245世帯(53%)から回答をいただき、うち94%が震災後の子育てに関して心配なことがあると答えています。2013年アンケートは、より広範囲に、那須塩原市、那須町にあるすべての公立保育園、幼稚園、一部の私立園38園の協力の下、2202世帯から回答があり、うち8割以上が「被ばくが子どもに及ぼす影響について不安に感じている」と答えていました。
また、政治的な活動経験を持たない人が多く、反原発、脱原発などの運動と共に「政治的」と言われなき非難をされたりしますが、必死で子どもを守るために、初めて署名、申入れをした人が多いのが実態でした。もちろん、お金に困っている団体が圧倒的に多く、お金目当てでないことは当然です。
甲状腺がんの影響は
甲状腺がんの「過剰診断」と検査縮小論についても、議論のあるところです。どちらを信じたら…とよく言われます。新たな報告数は回を経るごとに減ってはいるものの、総数は増え続けていますし、2回目、3回目の調査で発症が見つかった人のうち、前回はA1、A2判定だった人もいます。現在199名。症例を見てもリンパ節転移78%、甲状腺外進展39%、そして地域差も見え始めています。
また、「3・11甲状腺がん子ども基金」および独立系ジャーナリストの調査によって、手術後、再発や転移がある者が5%いるということや、199名という総数には、経過観察に回わされた後に見つかったケースはカウントされていない事実も明らかになりました。同じ福島県立医大で手術されていても、カウントされていないのです。しかし、これらについて県はまだデータを示していません。
低認知被害問題の特徴
こうした社会的に認知度が低く、また制度的にも十分な対策が講じられていない被害状況をもって「低認知被害」と呼んでいますが、これは、なぜいじめが起こるかという問題と重なります。
加速する「復興」の中、社会的にはますますタブー化し、「話しにくい」「触れたくない」話題となっていきます。こうして、女性差別など、もともと日常の中にあった差別などの社会問題が顕在化されていきます。甲状腺検査の学校検診見直し案や空間放射線量目安の見直し、モニタリングポスト撤去の動きなど、被害の不可視化も進行し、それによって関係者の孤立化も深刻化していきます。
対立の構造?
個別事例話しましたが、権利回復を求める被災者と、他の選択をする被災者とが対立し、避難することを言えずに引越したり、保養に出ることを内緒にしていたり、また、一度避難したのち帰還しても、同じコミュニティには戻れない等、さまざまな対立があります。
けれども、共通項として、原発事故に由来する多様な被害(被ばく含む)を受けた当事者であり、対応策についての開かれた議論の必要性を感じます。「放射性物質が県境を越えたのだから、私たちも県境を越えてつながらなくてはいけない」と市民団体の方が発言されていました。まさにそうなのだと思います。過去には、原水爆禁止運動を始めた主婦たちの例があります。杉並で読書会を開いていた主婦たちが、第五福竜丸の事件をきっかけに1954年4月に署名を始め、3000万の署名が第1回原水爆禁止世界大会開催へとつながりました。
異なる意見の人と対話する
良くわからないことについて話す大切さを感じます。意思決定者に向けて、主権者である私たちが、「何をわからないと思っているのか」「何をどう説明して欲しいのか」を伝え、回答を受け、また質問をするというやりとりの連続こそが必要です。
これは、憲法が保障する自由と権利は「国民の不断の努力によって保持する」ということにつながります。なぜ、これほど被ばくの問題がこうして語られることなく深刻化するのかというと、そこには「核技術の非民主性」があると故高木仁三郎氏が指摘されています。
異なる意見の人との対話から始めることなのです。意見が違うことが前提であり、なぜその結論にたどり着いたのかを尋ねることから始めます。これは、異なる意見が集まることがあたり前の国際会議ではよくある議論なのです。
ところが、「なぜ」という質問をすることが日本ではとても難しいです。それは学校教育の問題でもあると思います。先生になぜ、と聞けないのです。夏目漱石の優れた表現についての意見は求められても、なぜ夏目漱石の作品が良いのか?という質問をすることは難しいです。
そこには、日常会話の中のジェンダーと抑圧もあります。女性がこんなことを聞くなんて、語るなんて、らしくない等々。その一方で、男性もジェンダー抑圧を受けている。私たちも抑圧する側になり得ることを意識していかねばなりません。抑圧を受け続けている社会は、バッシングしようとする社会になろうとする傾向があります。
「弱さ」を受け止める「強さ」
そこで、社会的弱者としての女性の強みに注目していきたいです。自らの弱さを受け止めて、異なる意見と対話し、尋ね続けていくヒントがあるのではと考えています。
参加者の交流から
こうした清水先生のお話を受けて、後半は、参加者からの質問にお答えいただいたり、参加者同士の意見を出し合ったりする時間に。いろんな立場のいろんな方がいらしてくださり、それぞれが何らかの思いを持ち帰ることができたのではと思います。
同時に、どうしても避けがちな、異なる意見を持つ人たちともこうして顔を合わせながら、お互いの選択肢を尊重し、質問を投げかけながら対話を図ることが、ここからはより重要なのだと思います。7年が経った今だからこそ、そこから始めてみようと思いました。
(まとめ 伊藤)
(まとめ 伊藤)
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