全国ネットの藤井です。
おそばせながら
9月11日、be-inのイベントへ行ってきました。
9・11・・・
911から10年。
311から半年。
広島長崎のあの日からは
もう66年。
あの日は
全ての人に冥福を捧げる為
明治公園へ向かいました。
会場では全国ネットのブースを出しまして、缶バッチの販売と活動の宣伝などをしました。
ご来場いただいて、声をかけてくださった皆様、ありがとうございました☆
色々な方とお話できて、とても良い刺激になりました。
この日は、普段一緒に活動している自分の職場のレストランの上司やスタッフも来てくれました。
公園内の線量を、上司持参のインスペクターで測ってみましたが
はじの吹き溜まりなんかはやっぱり1μは超えてしまいます。
出店で色々買い食いして買い物をしたりしましたが
中でも西のお野菜はしっかりチェックしておきました☆
ニラなんて本当に久しぶりでした!!!!
ニラとキャベツを買ったので、久しぶりに餃子でも作ろうかしら♪
なんて思いつつ
結局お好み焼きになりました。笑
美味しかったー♪
他にも、空芯菜や岡山のにんにくなんかもあって、大盛況でした。
暗くなってもずっと賑わっていましたよ♪
911は半年と言う事もあって、各地でデモが行われていました。
中でも、新宿は凄まじかったですね。
負傷者や逮捕なんかの騒動もありつつ
1万人はくだらない数だった模様。
デモ行進の人たちが戻ってきてから、更にステージが盛り上がり
制服向上委員会の子達も来ていました。
せっかくなので、応援の言葉と、CDも一枚買ってあげました。
そしてちゃっかりパシャリ。
夜になってからは、キャンドルをピースのマークに
広島、長崎の原発の残り火をお祈りしました。
どうかどうか
皆安らかに眠って下さい。
きっと、変えてみせる。
あなたたちの残してくれた未来を
きっときっと守ってみせます。
子ども達が
無邪気に駆けまわって、笑顔のあふれる日本を
作るのは、作れるのは私たちひとりひとりの気持ちと行動。
皆
一緒に頑張りましょう。
私は今年の7月末に福島県から引越して来ました。可愛い中学生の娘を放射能から守る為です。私の実家である長崎県壱岐市に住んでいます。やっと壱岐市の生活に慣れてきましたが、子供が発病したら…と、不安で心が綺麗に晴れる事はありません。こんな親の想いは誰にもしてほしくありません。…子供達が福島で言っていた言葉が、とても辛いです ここに残しておきます。子供達が呟いていた言葉です→【どうせ被爆しちゃったし…いつ死んでもいいや】【親が仕事有るから福島から出れ無いから仕方ないんだ】【福島から出たら転校先で放射能がうつるからってイジメられるし】…中学生の楽しかった青春は全く暗いものに変わってしまいました。まずは、大変でしょうが 大人が正しい放射能の知識を学んで下さい。放射能は、うつりません。私は福島県から出る時 荷物は手荷物だけにまとめました。車も家財道具も寄附して来ました。それはなるだけ他の県に放射能を持ち込まないためです。佐賀の玄海原発こちらも危ないようです。私の実家が30㌔圏内に有ります。福島県の悲劇を繰り返してはいけません。福島県の人達を少しずつでも助けて下さい。福島県では親も子供達も何を信じたら良いか全くわからない状態です。思考停止してしまってます。私は、福島県でボランティアで呼びかけて来ましたが 個人の家庭を壊す事は出来ないので何度も壁にぶちあたりました。だか しかし で 毎日走り周り いくつかの家庭では県外に避難してくれました。無力感が、とてつもなく私を襲いかかります。皆さんの力が必要です。お願いします。力を貸して下さい。
返信削除