2017/01/02

「自主避難」3.2万人、住宅支援打ち切りに悲鳴 生活問題は逆に深刻化、終わらない原発被害





2017年01月02日 岡田 広行 :東洋経済 記者
http://toyokeizai.net/articles/-/151985

2016年7月に行われた
「避難の協同センター」設立の記者会見
原発事故によって福島県内の避難指示区域以外から逃れてきた「自主避難者」への住宅の無償提供が、今年3月末で打ち切られる。4月以降、現在の住宅から立ち退きを求められたり、新たに多額の家賃の発生に見舞われるケースが続出すると見られ、当事者から悲鳴が上がっている。

東京・江東区東雲にある国家公務員宿舎で避難生活を送る女性(57歳)は、言いしれぬ不安にさいなまれている。原発事故直後に福島県南相馬市原町区の自宅から逃れてきたが、4月以降、避難先の国家公務員宿舎に住み続けることが困難になっている。

福島県では原発事故後、災害救助法に基づき、民間のアパートや国家公務員宿舎、雇用促進住宅などを応急仮設住宅(みなし仮設住宅)として自主避難者にも無償で提供してきた。自主避難者にとって、仮設住宅の無償提供は事実上唯一の支援策。それが今般、「県内での除染の進捗や食品の安全性の確保など、生活環境が整いつつある」(福島県生活拠点課)として、無償での住宅支援を終了させる。
1万2000世帯が打ち切り対象に

福島県によれば、県内外の自主避難者は約1万2000世帯、約3万2000人に上る。県では1月以降、一定の所得以下の世帯に対して、みなし仮設住宅から転居して新たに賃貸住宅で暮らす際の補助金を2019年3月末までの2年余りに限って支給し始めるが、その対象は約2000世帯にとどまる。

2016年12月下旬、前出の女性宅に福島県から一通の手紙が届いた。そこには「子どもの就学や通院などやむをえない事情がある場合には公務員宿舎への継続入居も可能」である旨が記されていた。だが、女性は今の住宅に住み続けることを半ばあきらめかけている。

女性は6年前に乳がんの手術をし、現在も抗がん剤治療を続けている。33歳の長男と2人暮らしだが、長男は職場での人間関係がうまく行かず、自宅に引きこもりがちだ。現在は会社勤めをする女性の収入によって家計を支えている。

「仮に4月以降も住み続けることができたとしても、新たに家賃が発生する。聞くところによれば、国家公務員宿舎の家賃は最高で5万3000円余り。共益費も駐車場代も新たに発生する。今の給料では生活が成り立たない」(女性)という。

かといって南相馬市に帰ったとしても、今までと同様の治療を受けられる病院はない。「一家を支えられる職場を見つけることも難しい」(女性)。
「帰りたくても帰る場所がない」

千葉県松戸市内の民間アパートで避難生活を続ける髙田良子さん(68歳)は、「帰りたくても帰る場所がない」と話す。南相馬市原町区の自宅は避難している間に土台やたたみがダメになった。すき間からネズミなどの動物が侵入し、泥棒による被害も受けた。髙田さんの自宅は山あいにあるため周辺の放射線量が除染後の今も高く、取り壊して新たに建てる資金もないという。

現在、髙田さんは避難生活を続けるかたわら、松戸市内のボランティア団体が運営する東日本大震災被災者の交流サロン「黄色いハンカチ」の副代表を務め、境遇を同じくする被災者に寄り添う。サロンでは自主避難者の切実な声にも耳を傾けるかたわら、髙田さん自身、「この5年9カ月はとりあえずの毎日。いつになったら、落ち着いた生活に戻ることができるのか見通しも立たない」。

東日本大震災の被災者を支援する松戸市内の
交流サロン「黄色いハンカチ」
自主避難者はともすれば、「自分の責任で避難してきた人」と見られがちだが、実態は違う。原発事故直後、南相馬市では原発から20~30キロメートル圏内の原町区の住民に向けて、市外への脱出を呼び掛けた。当時、「屋内退避」エリアだった原町区には、食料や医薬品も届かなくなっていた。町中を、自衛隊のトラックが行き交い、大型バスで脱出する住民が相次いだ。前出の女性は、自家用車で長男とともに避難を開始するまでの間、言いしれぬ恐怖にさいなまれたという。

東京都内の民間アパートで小学校4年生(9歳)の長男とともに暮らす女性(41歳)は、原発事故前には郡山市内で暮らしていた。女性は今でも、原発の爆発や顔を引きつらせた政府首脳のテレビ映像が脳裏に焼き付いている。安定ヨウ素剤が配られなかったことや、飲料水をもらうために子どもとともに放射能を含んだ雨の中を小学校の前に並んだことも、決して消えることがない記憶として残っている。
子どもを守るための避難

「子どもを放射能から守るために」と始めた避難生活は過酷を極めている。長引く避難の中で夫との離婚を余儀なくされ、現在は女手一つで子どもを育てている。保険外交員の職業柄、土日も仕事が多く、子どもの預け先を見つけるのにも苦労してきた。子どもは毎晩遅い時間まで自宅でひとりで過ごす。女性は「子どもに我慢させて申し訳ない」と感じている。

最近になって朗報もあった。「都営住宅の優先入居が決まり、同じ自主避難者である友人とも家が近くなったのは運がよかった」と女性は話す。一方での新たに家賃も発生し、今までなかった駐車場代も払う必要が出てくる。

自主避難者の支援を続ける「避難の協同センター」の瀬戸大作事務局長によれば、「誰にも助けを求めることができずに苦しんでいる自主避難者は少なくない。原発事故から時間が経過する中で、住宅だけでなく、生活上の問題はむしろ深刻になっている」という。掲載した表は関東地区の都県が発表している自主避難者向けの住宅施策だが、こうした施策だけで自主避難者の問題を解決することは困難だ。

福島県が発表した自主避難者の17年4月以降の住まいに関する意向調査結果(16年11月15日現在)によれば、対象の1万2239世帯のうち「避難先で避難継続」を望む世帯が全体の3割を上回る3814世帯もある。一方、4月以降の住まいについて「未確定」は1038世帯(全体の8%)。「確定済み・移転済み」「ある程度確定」は全体の8割近くに達するが、家賃の負担の重さなどの生活状況は把握できていない。

生活再建の手掛かりをつかめない自主避難者の問題に、私たちはもっと目を向ける必要がある。

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