作成:山田國廣・京都精華大学名誉教授
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140704-00010006-bjournal-soci
2011年3月15日午前10時、東京にはおびただしい種類の放射性物質が一気に降り注いでいた――。東京電力福島第一原発事故による東京都内の放射能汚染について、京都精華大学の山田國廣名誉教授(環境学)が一般にはあまり知られていない公的な測定データを掘り起こし、独自に分析。放射線量と放射性物質濃度が極めて短時間、かつ同時にピークを迎えていたことを明らかにした。「その時間帯に屋内、屋外のどちらにいたかで内部被ばくの影響がまったく違うだろう」といった教訓を、今後の原発事故の避難計画などに生かすべきだと呼び掛けている。●3月15日10時台に降り注いだ「テルル」系核種
山田名誉教授は福島の福島市や郡山市、飯舘村などで住民参加による除染を試行しながら、原発事故直後の初期被ばくについてあらためて研究。福島と比較するために東京の情報を収集したところ、ある研究機関のデータに行き着いた。東京都立産業技術研究センター(産技研、本部・江東区)が11年3月13日から測定していた大気浮遊塵(じん)中の放射性物質濃度などのデータだ。
産技研は世田谷区にあった旧駒沢支所の敷地内で、集塵装置の濾(ろ)紙を用いて大気中の塵(ちり)をピーク時には1時間ごとに捕集し、ゲルマニウム半導体検出器でガンマ線を計測。高濃度だった3月15日分は日本分析センターに委託してベータ線核種の放射能濃度も測定していた。
それによれば、福島第一原発1、3号機の爆発を経て2号機も状態が悪化していた15日は、午前3時台にヨウ素、テルル、セシウムなどの放射性物質を12核種、大気1立方メートル当たり計41.6ベクレル検出。数値は午前7時台から急上昇して9時台に261.2ベクレル、10時台にピークの1205ベクレルに達した。
このとき最も多かった放射性核種はテルル132で390ベクレル、次いでヨウ素132の280ベクレルだった。
テルル132は半減期が約3日で、ベータ線を出しながらさらに半減期が2.3時間と短いヨウ素132に変わる。つまり両者は「親子関係」にあり、次々とベータ崩壊をして別の放射性物質に変わっていく。データによれば、15日10時前後はこの「親子」が東京に降り注いだ放射性物質の半分以上を占めている。
山田名誉教授は「初期被ばくといえばヨウ素131(半減期約8日)とお決まりのように言われていたが、それ以前にテルル132、ヨウ素132にも注目しなければならず、実際に東京の大気中にあったのはその両者が大半だということがわかった。これは非常に重大な事実だ」と指摘する。
●「安全」強調、縦割り態勢で生じた「死角」
このデータについて、元都環境局職員で廃棄物処分場問題全国ネットワーク共同代表の藤原寿和氏は「東京方面にホットスポット(放射線量の高い場所)が生じたときに、都内でこれほど詳細なデータがとられていたとは知らなかった。埋もれていた貴重なデータであることは間違いなく、詳しく解析する必要があるのではないか」と話す。なぜこれほどのデータが「埋もれて」しまっていたのか。
産技研の放射能測定部門は昭和30年代に設立された旧都立アイソトープ総合研究所の流れを汲む。大気塵中の放射能濃度測定はチェルノブイリ事故以来、都の地域防災計画に基づいて行われ、今回の福島事故でも地震翌日から24時間態勢で実施。測定結果は毎回、産技研から本庁に伝えられた。
ただし、都立工業技術センターや繊維工業試験場などとの統合を繰り返し、地方独立行政法人となった現在の産技研の管轄は、都産業労働局の「創業支援課」。同課自体は放射能測定や原子力防災とは縁遠い。
データも当初、ヨウ素131、ヨウ素132、セシウム134、セシウム137の4核種についてのみ公表されていた。テルルを含めた12核種のデータは11年12月26日になって、3月から9月末までの測定調査の報告書の中で公表。その形式は一貫して数字が羅列されたPDFファイルで、意味を読み取りにくい。発表内容もこの期間の大気浮遊塵の吸入による内部被ばく量をシーベルト(Sv)換算すると、成人で24マイクロSvと推計され、「自然界に存在するラドンの吸入による年間400マイクロSvに比して小さなものとなっている」などと「安全性」が強調されていた。
報告書について「記者クラブへの投げ込みとレクのかたちで報道発表し、新聞4社ほどの記事になった」(創業支援課)というが、いずれも「安全性」を取り上げて扱いも大きくなく、産技研の測定担当者は「マスコミの反響はほとんどなかったと記憶している」と話す。
一方、環境中の放射能測定は旧都立衛生研究所の流れを汲み、保健福祉局管轄の都健康安全研究センター(新宿区)も担っており、塵や雨など降下物中の放射性ヨウ素とセシウムの濃度を11年3月18日から毎日測定、公表している。また、原子力防災を含む地域防災計画を立てるのは総務局。こうした縦割り態勢の中でデータが埋もれる「死角」が生まれたともいえそうだ。
●「逃げる」だけでない避難計画を
山田名誉教授は産技研のPDFから1つ1つの数字を表計算ソフトに移してグラフ化。これに健康安全研究センターが同期間に測定した1時間ごとの放射線量データを重ね合わせるなどして細かく分析した。そこから、放射線量と放射性核種濃度のピークがほぼ一致し、15日10時前後の6時間ほどに集中していることがわかった。
また、この東京のデータを基に福島の原発周辺地域を中心とした各地の空中浮遊核種濃度を推計、双葉町では3月12日午前6時に1立方メートル当たり292万ベクレルに達したとの数字をはじき出している。山田名誉教授は、次のように訴える。
「まず、東京都民はあの3月15日午前10時ごろにどこにいたかを思い出してほしい。原発20キロ圏内では『逃げる避難』しか想定されていなかったため、避難中や避難先でも屋外にいて初期内部被ばくを受けた。避難の目的を『逃げる避難』から『初期被ばく防止』に切り替え、線量の上昇を察知したら数時間後に大量の放射能が浮遊、降下してくると想定して住民を適切に待機させるような避難計画を立てるべきだ」
なお詳細な論文は、学芸総合誌『環』(藤原書店)で発表される予定だという。
(文=関口威人/ジャーナリスト)
(文=関口威人/ジャーナリスト)
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