2014/11/30
避難者 早く安定した生活を 進まぬ福島の復興、再生 /新潟
新潟市北区の宿泊施設「菱風荘(りょうふうそう)」で先月初旬、子どもから大人まで40人ほどの集まりがあった。東京電力福島第1原発事故の影響で、県内に避難した福島県南相馬市立鳩原(はつぱら)小学校の元児童と保護者、今も同市内の仮設住宅などから同小に通う児童とその家族たちだった。
集まりは「直接会って声が聞きたい」という子どもたちの要望に応え、同小PTA会長の阿部治幸さん(44)らが中心となって企画した。約3年8カ月ぶりの再会を果たした子どもたちは初め、緊張した面持ちだったが、程なくして福島で遊んでいたときのような笑顔を取り戻した。
同小は南相馬市小高区にある。震災直後、全域が警戒区域に指定され、住民たちは自宅を離れ、遠く離れた仮設住宅や県外避難を余儀なくされた。現在も同区は年間被ばく放射線量が20ミリシーベルト以下の「避難指示解除準備区域」になっており、一時帰宅は許されているが宿泊はできない状態だ。
同小は震災後の2011年4月、北に約20キロの同市鹿島区にある別の小学校の一部を借りて再開したが、65人いた児童数はわずか7人に。その後に同区に仮設の校舎を建てたが、現在も児童は11人しかおらず、来年度の入学予定者もいない。
「子どもたちがまた一緒に過ごせればいい。でも、今の生活を考えるととても『帰ってきて』とは言えない」。長男(6年)や長女(3年)らと共に参加した相馬市の荒木田香さん(43)は話した。現在も、家族5人でプレハブ小屋のような木造の仮設住宅で暮らしているが、壁は薄く広さも5人で住むには限界に近いという。
震災前に約7万1000人だった同市の人口は現在約5万3000人。同市は16年4月に避難指示解除準備区域や居住制限区域を解除する目標を掲げ、住民の帰還に向けてインフラの復旧を進めているが、仮に解除されても住民らが戻ってくる保証はない。
「当初は知り合いもいなくて(南相馬市に)戻りたかったが、今は子どもたちも新潟の生活になじんできた。こっちに家を建てようか迷っている」。11年4月から長岡市の借り上げ住宅で家族7人で暮らす坂本育子さん(38)は話した。
夫は南相馬市に仕事があるため、家族がそろうのは週末だけだが、それでも「家族のために、早く安定した生活がしたい」と望む。
http://senkyo.mainichi.jp/news/20141129ddlk15010031000c.html
毎日新聞
2014年11月29日 地方版
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿