2014/09/30
川内村:揺れる村民の心 10月1日に避難指示解除/福島
東京電力福島第1原発事故を受け、福島県川内村の原発20キロ圏内に政府が出していた避難指示が10月1日、ほとんどの地域で解除される。事故後、避難自治体としていち早く打ち出した「帰村宣言」の下地が3年半でほぼ整うが、村民たちの心は揺れている。【玉腰美那子】
20キロ圏内の避難指示解除は北隣の田村市都路地区(4月)に次いで2例目。
川内村の人口は約2800人。同原発から20キロ以上離れた西部は、事故6カ月後に緊急時避難準備区域(当時)を解除され住めるようになった。村によると、現在は人口の約半数が生活基盤を村内に移した。今回は東部の20キロ圏内でも139世帯275人の「避難指示解除準備区域」が解除され、18世帯54人の「居住制限区域」が同準備区域になる。
20キロ圏内に自宅がある小野正修さん(53)は、いわき市に県が借り上げた住宅に避難している。事故後に生まれた長男正裕君(3)は古里の土を踏んだことがない。「昔の川内だったら、自然に囲まれて、集落のじっちゃん、ばっちゃんも見守ってくれる。子育てには絶好だったが、今は違う」
自宅近くには汚染された廃棄物の量を減らす焼却炉ができる予定で、除染で出た汚染土の仮置き場も複数ある。借り上げ住宅の期限は2016年3月だが、事故後に失った職と正裕君の保育園をいわき市で見つけて生活を続けるつもりだ。
「自分の家が目の前にあるのに、古里は投げ出せねえ」。大和田亥三郎さん(79)と妻ロクさん(77)は6月、20キロ圏内の自宅での生活を再スタートさせた。だが、避難生活を送った村西部の仮設住宅を今も手放せない。震災前は同原発近くの双葉町のスーパーに仕事帰りに立ち寄っていたが、今は仮設に週2回ほど訪れる移動販売が頼みの綱だからだ。亥三郎さんは「不便になったから若い人は帰ってこない。いつか、川内は本当になくなる」と不安を隠せない。
村民が多く暮らす郡山市の仮設に残る人もいる。いったん村に戻った女性(46)は4月に脳内出血で倒れて仮設に戻り、同市の病院に週1回通院している。「事故前は富岡町や大熊町に救急対応や入院設備の整った病院があったけど……。村には診療所しかないから」と、しびれが残る左腕をさすった。
http://mainichi.jp/select/news/20140930k0000m040027000c.html
毎日新聞
2014年09月29日
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