2015年9月6日 日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/general/news/1534081.html
今月11日、東日本大震災から4年6カ月を迎えるのを前に、政府は5日、福島県楢葉町のほぼ全域に指定されていた東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示を解除した。全町規模の避難解除は初。町職員などに注意を受けながらも、自宅を守るために12年8月から避難指示区域に住み続けた吉田洋一さん(67)を1年半ぶりに訪ねた。直近では全人口7368人(1日現在)の1割ほどしか戻らないとされる帰町に、寂しげな表情を浮かべた。
人が住まなくなり、鹿やイノシシが親子連れで歩く姿も吉田さんの家から普通に見えた。帰町を前に野生化した動物たちの駆除も行われた。「人間って勝手だな」。その日を迎え、近所に人が戻る気配はない。
「本当に町が元に戻るのにはまだ10年かかると思う」。町では至る所で家屋の解体作業が行われている。2694世帯(1日現在)のうち約1000世帯が解体を申請。建て替えのためもあるが、一方で帰町を諦めた人たちもいる。
「子どもがいる家が戻って来るはずねえべ」と語気を強める。町には除染廃棄物などを入れたフレコンバッグが置かれたままだ。「子どもたちに盆や正月ですら戻って来いなんて思わねえ」。帰町へ向け4月から行われた準備宿泊の登録者は351世帯780人(8月31日現在)と町人口の約1割だった。1人月10万円の賠償金は帰町から1年後にストップする予定。
「帰りたくねえ人の中には賠償が止まるのが困る人もいるだろう。でもな、かわいそうと思ってくれるのは、せいぜい2年だ。いつまでも国に面倒見てもらうのはどうなんだ。その金は税金だぞ」。バラバラになった故郷は簡単には元に戻れない。だからこそ厳しい言葉が口を突いた。
震災前、87歳になる母と妻、息子と4人暮らしだった。母と妻はいわき市に、息子は会津若松市で避難生活を送る。震災後、認知症が進んだ母。施設が整備されていない楢葉町には戻せない。「もう1度一緒に暮らしたいか」と聞くと「そんなの無理だっぺ! 俺は1人でいい」とぶっきらぼうに言った。
自宅、先祖代々の墓、飼い猫や金魚を守るために1人、誰もいない楢葉町に住み続けた。時には役場職員や警察に注意も受けたが「ここが俺の家だ」と根負けさせた。原発事故から4年半。最も高いところで毎時17マイクロシーベルトあった放射線量は、家の中では0・2マイクロシーベルトほどまで下がった。「年を取ると時間がたつのは早いな。棺桶に片足を突っ込んでるよ」と笑う一方、警戒区域の設定が原発事故後1カ月以上も遅れ、メルトダウンの事実も長い間認めなかった、かつての民主党政権には今でも怒りを覚えている。
寂しさは見せないが本心は違う。「ほぼ毎日草むしりをしてるんだ」。草を刈ったようには見えない庭だが、そう思わせるのは足の踏み場がないほどに広がった無数のコスモス。吉田さんは1本も抜かなかった。この場所で2度と一緒に住めないかもしれない母が、震災前に植えたものだった。【三須一紀】
◆福島県楢葉町(ならはまち) 県沿岸南部に位置し、人口は約7400人。ほぼ全域が東京電力福島第1原発から20キロ圏で、比較的放射線量の低い「避難指示解除準備区域」に指定されていた。住民は福島県を含む30都道府県に避難、人口の8割弱が福島県いわき市に身を寄せる。気候は比較的温暖で、ユズが特産品。隣接する富岡町との間には東電福島第2原発がある。「Jヴィレッジ」も隣の広野町との間にまたがり、現在は原発事故の対応拠点となっている。
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