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お盆を前に、故郷の村で墓参りをする佐久間友希さん(右)と母の美千代さん =福島県葛尾村で、望月亮一撮影 |
「すっかり岩江の子になった」。担任の伊藤久美子さんは、友希さんが葛尾(かつらお)村の子であることを忘れるくらい学校に溶け込んでいると感じる。
東京電力福島第1原発事故が起きた時、葛尾村立葛尾小の1年生だった。両親や祖父母とともに原発から約30キロの自宅を出て、福島市の体育館で約5カ月間生活し、近くの福島市立小に通った。クラスには避難中の児童が多数おり、転出入が激しい。転校する友達に何度も「お別れの手紙」を書いた。「もう書くの嫌だ」。母美千代さん(45)は泣いて帰ってくる姿に、胸が痛んだ。
2011年8月、村から南西に約20キロ離れた三春町の仮設住宅に入った。村役場も町内に移転したが学校は再開せず、村が通学バスを出す岩江小に転校し、村の友達と通った。
1年半が過ぎた13年4月。友達もできてなじんだころ、村は町内に葛尾小の仮設校を開設し、岩江小へのバスを廃止した。このまま通うか、仮設校に入るか。「もう友達と引き離したくない」。美千代さんは迷わなかった。村の児童30人中16人が岩江小に残り、14人が仮設校を選んだ。
岩江小まで車で15分。朝は仕事に行く美千代さんが送り、帰りは隣の部屋に住む祖母ロクさん(71)が迎えに行く。夏休みに入る前の7月中旬。友希さんはこんなことを口にした。「夏休みは嫌だ。友達と遊べなくなる」
友希さんのいる仮設住宅に岩江小の児童はいない。仮設校に通う子は村が始めた塾に通って帰りが遅い。友希さんは学校から帰ると一人になる。
夏休み中に岩江小で数日間だけ勉強会があり、友希さんも待ちかねたように参加した。「お弁当もってきた?」と別の児童に尋ねる担任の伊藤さんの横から友希さんが「お酒、持ってきました」とふざけた。すぐさま友達が「違うだろ」。笑顔が広がった。
お盆前、友希さんは両親と一緒に、今年3月に亡くなった祖父正さんの墓参りに葛尾村を訪れた。墓地の丘から村の景色が広がる。そこには正さんとロクさんが建て、美千代さんが生まれた家がある。ロクさんは今も時折、草むしりに行く。
友希さんには「おじいちゃんと裏山でキノコをとった」という断片的な記憶が残るだけだ。母や祖母の古里への思いは知っているが、それでもはっきりという。「今の友達と一緒にいたい。岩江中に行く」。美千代さんは「家族にとって今は後ろを振り向かず、前を向く時期なんです」と話す。一家は村に戻らないと決め、岩江中の近くで住まいを探し始めた。【岡田英】=つづく
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■ことば ◇葛尾村
全域が避難指示区域に指定され、全村民約1500人が避難する。来春の避難指示解除(帰還困難区域を除く)を目指し、8月末から「準備宿泊」が始まった。臨時の役場がある福島県三春町内に2013年4月、仮設の小中学校を開設。計21人が通学している
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