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仮設住宅のそばで久しぶりに集まったいとこらと遊ぶ末永凱翔君(中央) =福島県会津若松市で、望月亮一撮影 |
「ねえママ、10年後、大熊町に帰れるんだって」。福島県会津若松市の仮設住宅で末永凱翔(がいと)さん(10)はテーブルに身を乗り出して学校で学んだことを母親に報告した。
凱翔さんは会津若松市にある大熊町立小学校5年生。7歳、6歳、2歳の4人兄弟の長男だ。「オレ、町に帰る」。意気揚々と話す凱翔さんに母真由美さん(32)は複雑な表情を見せた。自宅は帰還困難区域にある。
凱翔さんは大熊町で両親や曽祖母、祖父母、兄弟とにぎやかに暮らしていた。東京電力福島第1原発事故は小学校入学間近の2011年3月に起きた。「町が仮設の小学校を始める」と知った両親は子どもたちを連れて会津若松市へ。4月16日の入学式に凱翔さんは避難先の温泉旅館から参加した。
町は会津若松に臨時役場を開き、町民の多くも市内に点在する仮設住宅などに避難した。当初、凱翔さんの同級生は63人いた。だが、避難が長引くにつれ、大熊に近いいわき市など新たな生活拠点に移る町民が増えた。同級生は14人に。夏休みの民間合宿に一緒に行った親友も2学期の教室にいなかった。転校を告げる担任の言葉に口をぎゅっと結んだ。
凱翔さんの家族も県中部の泉崎村に新居を構えるつもりだ。そこでは大家族が勢ぞろいできる。引っ越しを楽しみにする弟たちをよそに、凱翔さんは「慣れた友達と離れたくない」と乗り気でない。ただ、学校までは約1・5キロあり、行き帰りはスクールバス。「友達と道草してみたい」との願いもかなわない。
最近、大熊町に関心を持つようになった。学校で町の歴史や現状を学ぶ機会が多い。先日も授業で臨時役場を訪ね、25年までの町の復興計画を学んだ。仮設住宅には町から貸し出されたタブレット端末がある。送られてくる町の写真を見ながら「じいちゃんと遊んだ公園だ」と喜ぶ。「庭が広くてパパとキャッチボールできた。海でも遊んだよね」
町は15歳未満の一時帰宅を認めておらず、兄弟は4年半、一度も町に行っていない。凱翔さんは、学習したことと体験を結びつけられるぎりぎりの世代だ。「今は町もぐちゃぐちゃで見てもつらいかも。10年後に町が新品になったらちょうどいいんじゃないかな」
息子の言葉に真由美さんは「町に興味を持つのはいいこと。でも現実を見れば『帰ろう』とは言えない」と戸惑う。引っ越しの時期も決めかねている。仮設小を卒業すれば、凱翔さんは父や祖父と同じ小学校名の卒業証書を受け取れるからだ。ただ、祖父千年さん(59)はこう言ってくれる。「家族のいるところが帰る場所。かつて大熊に住んでいたと知っていてくれるだけで十分だ」
凱翔さんの夢は「甲子園に出ること」。夕方、仮設住宅の空き地で弟たちと遊んでいる凱翔さんに真由美さんが声をかけた。「キャッチボールしよ」。うれしそうに母のグラブに全力投球した。【喜浦遊】=おわり
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