2015年9月8日 毎日新聞
http://mainichi.jp/shimen/news/20150908ddm041040098000c.html
福島県郡山市で避難生活を送る双葉町立双葉中2年、浪江侑加(ゆうか)さん(13)の朝は早い。いわき市にある学校までは約100キロ。5時に起き、6時前に父克彦さん(52)が運転する乗用車に乗り込む。
2学期が始まった8月下旬。助手席の侑加さんは車が走り出すと「ちょっと見ておこう」とカバンから歴史の学習参考書を取り出した。バドミントンの部活を終えて帰宅するのは夜9時前。睡眠は5時間足らずの毎日で、車中の1時間半は予習復習や睡眠不足を補う大切な時間だ。
東京電力福島第1原発事故で自宅は帰還困難区域となった。双葉北小3年生だった侑加さんは、両親と姉の家族4人で県内外5カ所を2カ月近く転々と 避難し、いわき市立小に転入した。級友の多くは親切にしてくれた。だが「許せないこと」が一つあった。6年生の時「賠償金で好きなモノが買えるんだろ」と からかわれた。散り散りになった町の友達に携帯電話のアプリで相談すると、みな同じような体験をしていた。
「賠償金で買った」と言われた学用品や服は、両親が防護服を着て自宅から回収し、きれいに洗ってくれたものだ。「黙っていてはいけない」。人前で自己主張するのは苦手だが、勇気を出して相手に説明した。
小学校を卒業した昨春、双葉町がいわき市に開設した仮設中学を希望した。「町立学校なら痛みを共有できる友達がいる」と考えたからだ。両親は郡山市での自宅再建を決めていた。「いわき市に通うなんて無理だ」という両親を「1年だけでいいから」と説得した。
開校時の同級生は3人。勉強で分からないことは教え合った。先生も全員が分かるまで教えてくれた。成績はぐんぐん伸びた。県の陸上競技大会で選手 がいなかった走り幅跳びに「出ます」と手を挙げた。修学旅行先の京都で中学生約100人に「双葉町の今」を説明する役を買って出た。娘の変わりように両親 は目を丸くした。
「侑加さんが郡山に転校したくないと言ってます。話し合われてみては」。昨年11月、担任から連絡を受けた克彦さんは「やはり」と思った。家族の 話し合いは年明けまで続いた。侑加さんはかたくなだった。「卒業まで無遅刻無欠席を続ける」。こう言い切る娘に両親は折れた。克彦さんは転居を機にいわき 市での仕事を辞め、転職するつもりだったが、送り迎えと仕事を続けることにした。
「まったく、よくがんばるよ。弱音ひとつ吐かないし、朝寝坊もしないんだから」。ハンドルを握る克彦さんがこうつぶやいても、横で勉強に没頭する 侑加さんには聞こえないようだ。克彦さんにとっても送り迎えの日々は体力的につらい。だが、往復200キロ余の運転を娘と過ごせる幸せな時間だとも思う。
原発事故でがらりと変わった生活のことを侑加さんはこう思う。「今のままでいい。たくさんの大人の善意を知ったし、つらい時も愉快に過ごす大切さを学べたから」【栗田慎一】=つづく
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■ことば ◇双葉町
東京電力福島第1原発の立地自治体。町面積の96%が帰還困難区域で全町避難が続く。事故後、臨時役場を埼玉県加須市に置き、2013年6月から いわき市に移った。14年4月、同市に仮設の町立小中学校を開設。不登校の子どもも積極的に受け入れる方針を打ち出した。今年9月現在、21人が通う。
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