2015年9月12日 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H91_R10C15A9CR8000/
東京電力福島第1原子力発電所事故では、原発周辺の多くの自治体で住民が避難を強いられた。原発から20~30キロ圏で指定された「緊急時避難準備区域」は2011年9月末に解除されたが、転居した住民も多く、4年たった今も帰還の動きは鈍い。特に若い世代が減り、街の衰退を懸念する声があがる。
住民の約9割が避難準備区域に住んでいた福島県川内村。現在の人口は約1600人と、原発事故前の55%にとどまる。
村では特別養護老人ホームの開設準備が進む。高齢者福祉の充実と帰還者の雇用確保を目的に誘致した。しかし開設予定の7月を過ぎても、従業員が足りない。募集枠48人に対し確保したのは36人。村民はうち16人だ。工事の遅れで開設は11月に延期されたが、「従業員確保が間に合うかまだわからない」(運営する社会福祉法人)。
2012年に開業したビジネスホテルも従業員が集まらない。運営を委託された「あぶくま川内」は、初任給を事故前の1.5倍に上げたが、「ほかの施設から人を借りて何とかやりくりしている」(猪狩幸夫社長)。
特に子供を持つ若い世帯が戻ってこない。南相馬市原町区は事故前の87%に当たる約4万1千人が住むが、区内の小学校8校の児童数は事故前の半分程度だ。市立原町第二小学校の山辺彰一校長は「親が避難先で仕事を見つけ、そのまま定着している」と話す。
7月に災害公営住宅に引っ越した男性(77)は妻と2人暮らし。事故前に同居していた長男夫婦と小学生の孫は相馬市に引っ越した。公営住宅でも子供の姿は少ない。「20~30年後、この地区は残っているのだろうか」
廃炉や除染に携わる作業員と住民とのあつれきも課題になっている。広野町では町内のホテルや宿舎で暮らす作業員が3000人以上と、町民約2200人を上回る。
“新住民”に対し町民からは「ゴミの日を守らない」「狭い道路を速度超過で運転している」といった苦情があがる。町は昨年10月、町や警察、東電や除染業者などで構成する「安心・安全ネットワーク会議」を設立。作業員と住民との交流などを図る。町の担当者は「作業員は復興に体を張ってもらっている。住民との共生を図りたい」としている。
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