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「みんな気づいたときがスタート」
この言葉を胸に、反対運動に加わりました。
──岩間さんは、福島第一原発事故の2ヵ月後から、栃木県塩谷町で子どもたちを放射能から守る活動を続けていますね。
岩間 はい。事故後、塩谷町も放射線量が高くなりましたから、子どもたちへの影響が心配になり、同じ思いの方たちと「原発・放射能から子供を守る会・塩谷」を結成しました。学校の除染を求める署名を集めたり、被ばくによる健康影響について知ってもらうために会報誌を配ったりしてきましたが、ほとんどの人が、事故によって放射能汚染されたのは福島県だけだと思っていましたから、当初はなかなか関心を持ってもらえませんでした。
学校の先生にも、放射能の影響を気にしている人はほとんどいなくて、当時中学生だった娘には肩身の狭い思いをさせてしまいました。事故後の3年ほどは、活動を続けるのが辛い日々も多かったです。
ところが、昨年の7月30日に塩谷町が指定廃棄物(注)の長期管理施設(最終処分場)の候補地に選定されると、状況が一変しました。
注)東京電力福島第一原子力発電所の事故によって汚染された廃棄物のうち、1キロあたり8000ベクレルを超える焼却灰や稲わらなど(原発の運転などで発生する放射性廃棄物は、1キロあたり100ベクレルを超えると〝低レベル放射性廃棄物″として厳重に管理される)。放射性物質汚染対処特措法の基本方針では、指定廃棄物を抱える都道府県(宮城県、福島県、栃木県、茨城県、群馬県)内で各1ヵ所の長期管理施設に集めて処分することを定めているが、現在は一時保管場所などに分散されている。
──どのように変わったのでしょうか。
岩間 町ではすぐに反対運動が起こり、私たちにも、放射能の健康リスクについて集会などで話してほしいと声がかかるようになりました。
候補地には、高原山の中腹が指定された。高原山は、国の天然記念物であるイヌブナ自然林や「名水百選」の尚仁沢湧水を有する、恵みの多い山。
ただでさえ、事故前より高まった放射線の中で生活をしているのに、1キロあたり8000ベクレルを超えるほど高濃度に汚染された指定廃棄物の長期保管施設が建設されれば、さらに被ばくが上乗せされるかもしれません。子どもたちへの影響を考えると、不安です。加えて、住民に何の説明もなく、突然、環境省から候補地選定を知らされたことへの憤りもありました。でも、反対運動に加わるのにはためらいがあったんです。「私たちが事故から3年以上『子どもたちを守りたい』と声をあげ続けても話を聞いてくれなかったのに、町に長期管理施設ができるとなったら声をかけてくるなんて」という思いが拭えなくて。反対運動が盛り上がれば盛り上がるほど、心のわだかまりは大きくなっていきました。
気持ちの整理がつけられたのは、ある友人のおかげです。その人は、栃木県内のほかの地域で放射能から子どもを守るために活動をしているんですが、町の人たちに背を向ける私を見て「今、反対の声をあげはじめた人の姿は、事故後、活動を始めたころのあなたの姿と同じでしょう? みんな、気づいたときがスタートですよ」と諭すように言ってくれたんです。
誰もが、気づいたときがスタート。反対運動を通して、町が放射能のリスクに目を向けはじめたことは、子どもたちを守る活動を前進させる大きなチャンスでもあると思い、反対運動に取り組む決心がついたんです。候補地の選定から1ヵ月後に開かれた緊急集会では、私も壇上でスピーチをさせていただきました。
葛藤を乗り越え、町の人たちと共に闘う決意を表明。町の子どもたちへの思いも語った。
反対運動が盛り上がるなかで
町の人たちの意識も変わってきました。
──塩谷町が長期管理施設の候補地に選定されてから、1年が過ぎました。この間、町はどんな様子でしたか。
岩間 反対運動がどんどん大きくなりました。候補地選定白紙撤回を求める署名も、今年5月の時点で18万筆集まっています。塩谷町の人口が1万2千ほどですから、18万といったらその15倍以上です。
──反対の声をあげているのは、塩谷町民だけではないんですね。
岩間 候補地のすぐ近くから湧き出る尚仁沢湧水は、塩谷町とその周辺自治体の暮しや農業を支えています。尚仁沢湧水を源流とする荒川は那珂川と合流しますから、もし長期管理施設が建設されれば、栃木県を超え、茨城県の那珂川流域にも影響が出るかもしれないと危機感を持っている方はたくさんいます。
環境省によって長期管理施設候補地に選定された寺島入地区。 |
候補地近くにある尚仁沢湧水。 1985年、環境庁(当時)によって「名水百選」に指定されている。 |
──反対運動が大きな広がりを見せても、国が候補地選定を見直す動きはありません。7月8日には、国による候補地選定を検証する栃木県の「有識者会議」で、「選定は適切に行なわれた」という最終報告が出されました。
岩間 そうですね……。怒りもありますし、むなしさも感じます。でも、まだ道半ば。反対運動のなかで、町の人たちの意識も変わりつつあります。
反対運動が始まった当初から、町には「断固反対」や「白紙撤回」と書かれた看板やのぼりが並んでいるのですが、最近は「のんでんだぞ荒川の水!」や「深呼吸もできねえ!」などと書かれたものも目につくようになりました。
「のんでんだぞ荒川の水!」は、長期管理施設ができたら、尚仁沢を源流とする荒川の水が汚染されると訴える言葉です。「深呼吸もできねぇ!」は、空気が汚染されると訴える言葉。町の人たちは、長期管理施設が自分たちの暮しにどう影響するのかを考え、自分が建設に反対する理由をそれぞれに訴えはじめています。
農業を守りたい。水を守りたい。子どもたちを守りたい。候補地に選定されたことによって、大切なものを否定される痛みを知った私たち塩谷町民は、それぞれの大切なものを守るために、一人ひとりが主体的に考えて行動するようになったのです。
国に数の力ではかなわなくても、一人ひとりがしっかりとした軸となって行動すれば、打ち克つ道はあるはずです。
塩谷町には、いたるところに候補地選定の白紙撤回を求める手作りの看板がたてられている。
町の子どもたちに、
大人が本気で頑張る姿を見せたい。
──町に掲げられた看板のなかでは「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」と書かれたものも目を引きます。
岩間 日本初の公害である足尾銅山公害に立ち向かった郷土の勇士、田中正造の言葉です。明治時代に紡がれたこの言葉に、今、とても励まされています。
この反対運動を通して、子どたちを放射能から守る活動に関心を持つ方は少しずつ増えています。町役場でも、チェルノブイリ事故後の子どもたちの健康状態を報告するDVDを購入し、町民に無料で貸し出すようになりました。「原発・放射能から子供を守る会・塩谷」の仲間が、根気強く町の人たちに訴えてきた成果です。原発事故後の活動や反対運動を通して、人の思いはつながるんだと、改めて学んでいます。
仲間の姿に励まされながら、この1年間、私は栃木県の子どもたちに保養(注)を広める活動にも力を入れてきました。
(注)一定期間、放射線量の低い地域で過ごすことで体内にたまった放射性物質を排出させ、体力や免疫力の回復を図ること。
塩谷町以外にも、栃木県北部には線量の高い地域がありますが、やはり保養は広まっていません。そこで、「とちの実保養応援団」という団体を立ち上げ、栃木県の子どもたちに保養を広めています。ふだん、放射能のことを気にしていない方にも興味を持ってもらうためには、明るく楽しく伝えることも大切かなと思い、替え歌とダンスで保養をPRする活動も始めました。
歌詞や降り付けを自分たちで考え、衣裳も工夫したりして、私たち自身も楽しんでいます。活動を楽しめる日がくるなんて想像できないほど辛い日々もありましたけど、続けてきてよかったです。最近になって、娘は「やっぱり、お母さんの言っていたことは正しかったんだね」と言ってくれました。
子どもたちはいつも、大人の背中を見ています。今、あきらめずに行動を続けることは、塩谷の未来に希望の種をまくことにもつながります。私は、例えどんなに苦しい局面になっても、子どもたちに希望のバトンをつなげたい。長期管理施設の問題が今後長期化したとしても、町の子どもたちには、最後まで大人が本気で頑張る姿を見せたいと思っています。
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とちの実保養応援団 替え歌とダンス(動画)「保養に行きましょう」 https://www.youtube.com/watch?v=wohpTpMQBIA
「原発・放射能から子供を守る会・塩谷」(HP) http://kodomo-mirai.jimdo.com/
「指定廃棄物最終処分場候補地選定までの経緯と現状」(塩谷町HP) http://www.town.shioya.tochigi.jp/forms/info/info.aspx?info_id=34321
岩間綾子(いわま・あやこ)栃木県生まれ。一男一女の母親。福島第一原発事故後、「原発・放射能から子供を守る会・塩谷」を結成。栃木の子どもたちに保養を広める「とちの実保養応援団」の代表も務めている。
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