2015/09/11

いまだ避難が続く福島・飯舘村、焼却施設担当者が見せた涙の意味

2015年9月11日 福井新聞
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/oricon/79439.html

福島第一原子力発電所事故により避難を余儀なくされていた福島県・楢葉町の避難指示が解除されたニュースが先日流れた。だが、これはまだ復興へのわずかな一歩を示しているに過ぎない。未曾有の大事故から丸4年、依然として県内9市町村では避難指示が続いているのが現状だ。

■楢葉町避難解除の一方で行われた、飯舘村の焼却施設見学会

飯舘村もそのうちの一つ。原発事故によって多大な放射線被害に遭い、全村民が避難指示を受けた村だ。避難指示が解除された楢葉町は町の大半が福島第一原発から南の20km圏内にあるが、飯舘村は村のほとんどが北西に30km圏外という立地。楢葉町よりも原発から遠くに位置しているにもかかわらず、現在は、まだ一部地域が避難指示解除準備区域に設定されているだけという段階。飯舘村の村民1万人は依然、福島県内を中心に全国に避難を続けている。

今年の8月20日には、復興の現状に理解を深める目的で、村民に向けて初めてとなる、小宮仮設焼却施設の見学会が行われた。同焼却施設は、飯舘村の小宮地区に設置され、震災によって出た各家庭の片付けごみを処理するために稼動している。
飯館村村民が焼却炉を視察
■飯舘村の現状は?「廃棄物の仮置場の問題など課題は山積み」

今回、小宮仮設焼却施設の見学会に参加するべく、実際に編集部は飯舘村を訪れた。当然というべきか、目にした光景はやはり衝撃の一言だった。「全村民が避難している」という状況は、頭では理解しているし、テレビでもこれまでたびたび見てきたこと。しかし、実際に自分の目で見ると、ここまで違って見えるものかと、愕然とせずにはいられなかった。村にはもちろん村民はまったくおらず、人と言えば、黙々と手を動かす除染作業員の姿のみ。東京からわずか数時間で行ける町であり、建物も普通に存在する。だが、だからこそ余計に、そこに生活の音や匂いがまったく感じられないことが、得も言われぬ感情を呼び起こす。

さて、小宮仮設焼却施設の見学会の詳細に移る前に、飯舘村における除染の現状について触れておこう。そもそも除染とはいったいどのように行われているのか? まずは放射能汚染したモノを現場から取り除き、大型土のうに集約→仮置き場などで一時的に保管→中間貯蔵施設で保管→最終処分場へ、という流れだ。そして現在は、最終処分場をどうするのか、どこにするのかということが大きな争点となっている。

飯舘村の除染作業の現状は、宅地についてはほぼ終了したものの、農地、森林は約5割程度という進捗状況。飯舘村の菅野典雄村長に話をうかがったところ、「以前に比べて除染作業は着実に進んで いるものの、放射性廃棄物の仮置き場の問題など、まだまだ課題は山積み」と言う。過去に経験のない未曾有の事故だったゆえに、環境省をはじめとした行政とともに、手探り状態で作業を進めている状態 だという。

実際、編集部も取材の道中で、「除染中」と書かれたのぼりを数えきれないほど見たし、仮置き場には 土や草など放射性物質が吸着したものを詰め込んだ膨大な量のフレコンバックが置かれているところも、何度となく目にした。震災から丸4年を過ぎた今でも、除染作業はなお続いている、まだまだ途上だという現実を、至るところで突きつけられた。
村中に「除染作業中」ののぼりが

大量に積み上げられたフレコンバック

■廃棄物焼却施設の実態とは?

今回取材した小宮仮設焼却施設は、家の片づけごみをはじめとしたごみを焼却するところで、減容化、つまり大量にあるごみを灰状にして量を少なくすることが目的だ。除染廃棄物や片付けごみを処理する焼却炉については、環境省が主導して事業展開しており、現在稼動、および建設中の焼却処理施設は福島県内に計11箇所。三菱重工、日揮などのメーカーや、鹿島建設などのゼネコンが共同で運営している。

小宮仮設焼却施設は神鋼環境ソリューション・神戸製鋼からなる共同体が建設し、運営を請け負っている施設。飯舘村の美しい自然が見渡せる場所に位置し、普段はもちろん立ち入りはできないが、今回特別に取材のお願いに対して取材許可を得ることができた。同施設は、震災から3年後の昨年、2014年から運営を開始し、先にも書いたように、村内の家庭から発生する布団や家具などの屋内片づけごみを処理している。1日約5トンを焼却しており、処理施設は放射能廃棄物が外に飛散しないように密閉されている。また焼却炉には2カ所のフィルターなども設置されており、焼却場内にはところどころに放射線のモニタリングポストも。相当に気を配って、運営されていることがわかる。

■阪神淡路大震災を経験した施設運営者が見せた涙
  
さて、小宮仮設焼却施設が神鋼環境ソリューション・神戸製鋼からなる共同体により建設され、運営されていることは前にも説明したが、言わずともおわかりになるだろうが、神戸は1995年に起きた「阪神淡路大震災」の真っただ中の場所であり、本社を神戸市に構える同社も大打撃を被った(損害額1,020億円)。東日本大震災の被災者には、とても他人事とは思えないという気持ちも強いはずだ。
 
そんな想いが伝わったのか、約15名の村民が視察会の後、炉の運営にあたる担当者に感謝状を手渡すサプライズがあった。参加していた村民の1人は「復興に向けて尽力してくれている皆さんに とにかく御礼を言いたかった」と言えば、飯舘村・菅野村長も、「村民もいろいろな不安や不満はあるけれども、やはり頑張っていらっしゃる方々への感謝の想いがあったのでしょう」と説明する。これには、当日、説明と案内を担当した施設運営責任者である井土氏も、涙を抑えることができなかった。井土氏も、神戸における阪神淡路大震災被災者の1人だった。

「震災で住居が全壊し、家具や瓦礫の下敷きになりながらも一命を取りとめました。家族はバラバラになり、避難所などの住まいを転々としました。なので、家を離れて避難されている村民の皆様の想いは、痛いほどわかるんです。村民様の気持ちを第一に考え、健全な運営にあたりたいです」。

今回の焼却施設の見学会を通じて、それぞれの想いを胸に復興に向けて取り組んでいる人たちがいることを改めて実感することができた。飯舘村、そして福島県の戦いは、まだまだ終わることはない。

村民から感謝状が手渡され涙を見せた焼却施設担当者

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