http://www.sankei.com/premium/news/160611/prm1606110008-n1.html
木造の駅から続く商店街。明かりの消えたショーウインドーに、風に揺れるプランターの花がちらりと映り込んだ。「除染作業中」。住宅の敷地内に立てられたのぼり。その脇には放射性物質に汚染された廃棄物で膨らんだ黒い袋が固まりになって積まれていた。
「家の目の前に『あれ』があるとね…」。東京電力福島第1原発事故で、避難指示区域となっている福島県南相馬市小高区。JR小高駅前で、住民の一時帰宅の送迎サービスを行っている脇照弘さん(45)は、もうすぐ2歳になる長男をあやしながら、そうつぶやいた。「避難指示が解除になっても、どれくらいの人が戻ってくるかは正直分からない」。脇さんの懸念は帰還の困難さにつながっている。
「簡単には帰れないよね」。南相馬市原町区の仮設住宅に夫(82)と2人で避難している佐藤石子(せきこ)さん(76)は被曝の不安を拭えない。自宅は壁を剥ぐなど2回の除染をした。近くの田んぼには、放射線を出す廃棄物を入れた黒い袋がシートに覆われて保管されたままだ。
事故前は長男夫婦と孫2人と暮らしていた。事故で長男一家は相馬市に避難し、家族は離れ離れに。「またみんなで暮らしたいけど…」。仮設住宅での生活は、もう4年半になる。
5月末、政府の原子力災害現地対策本部長の高木陽介経済産業副大臣は南相馬市役所を訪れ、7月12日に避難指示を解除する方針を伝えた。解除対象は、約3500世帯1万1千人。1万人を超える大人数が一挙に避難指示解除されるのは初めてだ。
5月半ばに市内で開かれた住民説明会。「帰還に向けた準備が整った」。政府が淡々と現状を説明したことに対し、住民から不満の声が渦巻く。「道路の除染はまだ終わっていない」「仮置き場の除染廃棄物はいつまで置いておくのか」。市内の仮設住宅で暮らす女性は「戻っても、不安を抱えながら暮らすことになる」と吐き捨てた。
福島県内の除染で出た廃棄物は、昨年12月末時点で1030万立方メートル。除染は続いており、環境省によると、廃棄物は最大で東京ドーム18個分の2200万立方メートルに上ると見込む。約1千万個の黒い袋が、農地や住宅の庭など、約13万カ所に置かれたままだ。
なぜこんな事態になったのか。環境省では事故から3年程度で廃棄物を1カ所に集約するつもりだった。しかし「中間貯蔵施設」と呼ばれる長期管理施設の用地取得が難航し、行き場を失った廃棄物が“漂流”している状態だ。
廃棄物の仮保管は、限界に近づいている。
「この景色も、もう見慣れちまったよ」。南相馬市原町区の武山勇一さん(74)は、除染廃棄物の仮置き場になった農地を囲む白い壁を眺めながら、ため息を漏らした。
市から土地を貸してほしいと依頼された当時、区長を務めていた。所有者らに頭を下げて土地の提供をお願いし、自らの田んぼも約3千平方メートル提供した。契約は今年3月までだったが、搬出の見通しがなく、さらに3年先に延長された。
「土地を返してほしいと無理を言ったってしょうがねえべ。施設ができないと運び出せねえ」。武山さんは一日も早く、米作りを再開したいと願い続けているが、その道筋が見えない。
除染はそもそも住民の安心のためにあった。それが行き場のない廃棄物を生み、復興の足かせになるという袋小路。
「仮置き場が生活圏内にあること自体、普通の状況ではない。多くの仮置き場が農地にあり、営農再開の妨げになるだけでなく、風評被害を受ける懸念もある」。南相馬市の桜井勝延市長はこう強調した。
放射性廃棄物の処分が事故から5年を過ぎた今も難航している。廃棄物とどう向き合うか。福島の現場から、その答えを探った。
■用語解説「除染廃棄物」
東京電力福島第1原発事故で飛散した放射性物質の付着した表土の削り取りや、枝葉や落ち葉の除去、建物表面の洗浄などの「除染」で出た土や可燃性の廃棄物。放射線で住民が被曝するのを防ぐため、土やコンクリートで周囲を遮蔽し、生活圏から遠ざけることが求められている。福島県内の除染で出た廃棄物は、福島第1原発の周辺に建設する「中間貯蔵施設」に搬送する。
田畑に積まれた廃棄物の袋の山。 住民帰還の足かせになっている |
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