http://www.yomiuri.co.jp/local/shimane/news/20160910-OYTNT50071.html
◇福島の母子 3・11から5年半
東日本大震災から、11日で5年と半年。県内では6月現在、71人が避難生活を送っている。東京電力福島第一原発事故で、福島県いわき市から一時、出雲市に避難した元高校教諭の吉田勉子やすこさん(75)は、いわき市の自宅に戻り、出雲に思いをはせる。一緒に避難した米国籍の次男ジョン・ベルシオさん(47)は出雲市でタクシー運転手を務め、観光客に出雲の魅力をPRしながら、母親の健康を祈っている。(佐藤祐理)
◇帰省の母 「癒やしの地 早く戻りたい」
吉田さん親子は、自宅が津波で床下浸水し、原発事故による放射能への不安から、2011年3月、出雲市に避難して市営住宅に身を寄せた。ジョンさんは12年5月から市内のタクシー会社に勤務し、吉田さんも清掃や保育などの仕事に就いた。
いわき市の自宅には、飼い犬のロン(雄、19歳)を残していた。隣に住む吉田さんの妹(70)が世話をしていたが、見回っていた元教え子から「衰弱している」と連絡があり、吉田さんは、ロンの最期をみとろうと14年1月に帰省。ロンは元気になったが、出雲市の市営住宅は犬を飼えないため、そのまま残った。
いわき市のデイサービス施設で働き、避難生活で家族が離散した利用者からは、「吉田さんに会うのが唯一の楽しみ」と頼られている。吉田さんは「『家族は皆、自分のことで精いっぱい。邪魔者扱いされている』と、切羽詰まった表情で話されると、『出雲に帰ります』とは言えない」と話す。
吉田さんは「90歳を超えた人もおり、いつかは別れが来るし、自分も年をとる。頼られているからと、いつまでも居れば、自分の人生に悔いが残る」と心が揺れている。
古里では防潮堤が建設され、美しい海が見えなくなった。「今のいわきは次々と住宅やスーパーなどが増え、浮き立っている感じがする。出雲では斐伊川の眺めや夕焼けに癒やされた。早く出雲に戻りたい」
◇タクシー運転手の次男 「温かい気持ち 感謝」
ジョンさんは、吉田さんと、帰国した米国人の父親との間に生まれ、いわき市で育った。タクシーの乗客から、「話し方が違うが、こちらの方ではないんですか」と問われ、避難生活が話題になることもある。
「今でも気に掛けてくれる人たちに感謝している。東北のことは忘れていないし、震災を風化させたくない。熊本地震もあったので、自分が何かを語ることで防災に関心を持つ人が増えてくれればうれしい」
観光客に説明できるよう、出雲の歴史を学んでいる。お気に入りの場所は、鮮やかな朱色が美しく、ダイナミックな雰囲気を感じる日御碕神社(出雲市大社町)や、杉の巨木が神々しい須佐神社(同市佐田町)だ。行き先を迷っている観光客には薦めている。
ジョンさんは、この5年半を振り返って言う。「仕事が見つかるか不安だったことや、詮索されるのが嫌なときもあった。けれど、自分たちを受け入れてくれて、温かい気持ちを持った人が多い出雲に住み続けたい」。いずれは吉田さんに戻ってきてほしいといい、「母にも元気でいてもらって、兄や弟と喜寿のお祝いをしてあげたい」と望んでいる。
ロンの世話をする吉田さん(いわき市で) |
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