2016/09/08

帰還困難区域の未来図 故郷との接点 模索する住民

2016年09月08日 朝日新聞
http://www.asahi.com/area/fukushima/articles/MTW20160908071550001.html

●双葉の帰還困難区域、避難者に同行

東京電力福島第一原発事故に伴い、町域の96%が帰還困難区域に指定された双葉町。あれから5年半。政府は8月末、帰還困難区域について「すべての避難指示の解除」を目指す決意を示したが、その道筋はおぼろげだ。「郷愁」と「帰還」のはざまで腐心する避難者に同行し、記者が6日、帰還困難区域に入った。
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JR常磐線の双葉駅。駅前通りに人影はない。町内でガソリンスタンドを経営する吉田俊秀さん(68)はこの駅前で生まれ育った。

慣れ親しんだれんが色の駅舎が近づいてくると、自宅と、隣接する店舗を見て吉田さんが声をあげた。「あ、ガラスが割れてる」

愛着のある自宅だが、前回訪れたのは1年以上前。家の中の様子をみせてもらえないかお願いすると、吉田さんは首を横に振った。「悲しくなるから。もう見たくない」。天井が抜け落ちて雨漏りし、動物の糞が散らばっているという。

町は昨年3月にまとめた計画で、駅周辺を「復興拠点」に位置づけ、人が住める市街地をつくる構想を練っている。

駅周辺は、帰還困難区域のなかでも線量が低く、除染していない駅前のモニタリングポストの値は毎時0.4マイクロシーベルト。吉田さんの自宅周辺は0.3~0.6程度を示す。

今後、除染が始まれば、線量はさらに下がることが見込まれる。だが、吉田さんはここに戻り、生活を再開させることは考えていない。自宅は解体を希望するつもりだという。

「住民が戻ってまた暮らしを営む姿を、なかなか想像できない」。復興拠点になっても除染に伴って出た汚染土を運び込む中間貯蔵施設が近くにできる。子や孫たちも東京と横浜で暮らし、双葉には戻らない。吉田さんは今、250キロ以上離れた埼玉県加須市に暮らす。そこが「終のすみか」だと言う。

ただ、このまま双葉町をなくすわけにはいかない。「新しい街づくりのために業者さんたちががんばってくれる。それなのに、町民が何もしないわけにはいかないでしょ」。ガソリンスタンド再開に向け、2カ月に一度、ふるさとに戻る。

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荒れた自宅「悲しい」■ガソリンスタンド再開決意

町を南北に貫く国道6号線沿い、福島第一原発から3.5キロの位置に、吉田さんの経営するガソリンスタンドがある。

スタンド前の植え込みの土がやけにきれいだ。「除染で土を入れ替えたんですよ」。線量計の値は毎時0.66マイクロシーベルト。もともとは2~3マイクロシーベルトだったが、放水による除染を実施。植え込みも11マイクロシーベルトだったが、除染でかなり下がった。

だが、国道から離れた壁際の一角に線量計を近づけると、高い線量を示す警報音が鳴り響いた。「これじゃあまだ従業員が健康で働ける環境じゃない」。店の再開目標は年度内。引き続き除染を続けるつもりだ。

吉田さんが営業再開を決めたのは今年4月のこと。新しい街づくりに町が動き出すなか、復興を支える除染業者などには、ガソリンなどの燃料供給が不可欠だ。「その役に立てれば」と再開を決めた。

東京で暮らす長男が中心となり、いわき市内に事務所も構えて準備を進めている。町によると、再開を決めた町内のガソリンスタンドは吉田さんの店舗を含め3軒。うち1軒は今月中に営業を始めるという。

政府は先月末、帰還困難区域内の復興拠点について5年先をめどに避難指示を解除する方針を示した。吉田さんは「町がこのままではどうしようもない。どんな町になるかわからないが拠点となる場所は必要だ」と前向きに受け止める。

再開に動き出した4月以降、町にいたころの夢をよく見るようになった。店に立ち、馴染みの客と何げない会話をしている。夏祭りの夢も見た。

「人々が双葉をふるさとだと思わなくなること。それが『町がなくなる』ということだ」と思う。帰らないと決めても、吉田さんが双葉に関わる理由だ。

戻るか、戻らないか―。そんな二者択一ではないふるさととの「つながり方」があるのだと気づく。「離れて初めてふるさとの良さがわかるようになったよ」。吉田さんは駅前のイチョウ並木を見つめた。きれいな黄緑色だった。(杉村和将)

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