2016年6月10日 原発事故被害者の救済を求める全国運動
http://act48.jp/index.php/8-news/46-20160610r.html
「守ろう、避難の権利 住宅支援打ち切りを許さない! 」原発事故被害者の救済を求める全国運動東京集会を下記の通り、開催いたしました。
尾松亮さんによるチェルノブイリ法の話では、あらためて移住以外にも、「居住リスク補償」という考え方があることに注目し、居住や帰還を選んだら、何も言えない、全て我慢すべし、除染以外の被ばく防御はしない、といった福島の状況とのちがいの大きさの背景に法律があると語りました。
満田夏花さんは、帰還促進政策や健康被害の現状について話しました。 福島県のHPを見ると「復興=避難者の数が減る」という図式ができあがっていること。この夏にも、避難区域の解除が相次いで発表されており、避難区域解除の要件として「20ミリシーベルト以下」「生活インフラの復旧」「県、市町村、住民との十分な協議」とある日本に対して、チェルノブイリでは、「5ミリシーベルト」「避難者の個人の意思」とされていること、形ばかりの説明会をもって協議されたことにされている日本の現状、そして、甲状腺がんが福島県内だけでなく、宮城でも、茨城でも見つかっているとを報告しました。
瀬戸大作さんが、この間の住宅支援打ち切りに向けての、各自治体や東京での状況が簡単に説明し、シンポジウムに入りました。
瀬戸さんによれば、住宅支援解除に向けて、各団地に都の職員や福島県の職員などが出向き、現在、支援を受けて団地に住む避難者を呼び出し、1人の避難者に4人が取り囲むような形で、公営住宅の申込みを迫ったりしてると。(でも、申し込んでも、160倍じゃ入れる気がしませんよね)SOSの声を受ける電話を開設して、各団地での会合に同席したりして、避難者の孤立を防ぐように動いているそうです。
むさしのスマイルの岡田めぐみさんが、東京での避難者には、月に2回郵送で情報が届くけれど、区域外避難者の情報はほとんどなく、自分からネットで情報を探す状況であることが話されました。また、月に一度開いているサロンには、今も初めて足を運ぶ人が来る、5年過ぎても、まだまだこれからだと話しました。
宇野朗子さんが、避難の権利を求める全国避難者の会の活動の中から、一口に避難者と言っても、それぞれの条件や状況の違いも大きく、つながることが非常に難しいこと、でも、だからこそ丁寧につながりつつ、政府交渉のテーブルを考えていることを報告しました。
ひだんれん共同代表の武藤類子さんからは、5月30日に、訴訟原告団全国連絡会とひだんれんで、541名の避難当事者がつながり、住宅の無償提供継続を求める要望書を提出したとの報告がありました。
新潟市議の中山均さんから、新潟県が掲げた独自支援についての説明。自治体独自の施策は、鳥取県や山形県などでも発表されていますが、新潟県でも、民間家賃補助や引越し代の支援などがあげられています。しかし、福島県の支援に対する上乗せである以上、そこから漏れている人には支援できない限界もあること、ただ、柔軟な支援を引き出していける可能性もあると。各自治体に要望を上げていくことで、こうした支援につながる可能性についても語られました。
これまで脱原発でつながった団体間で動くことが多かったけれども、この住宅支援については先達でもあるもやいの大西連さんが登場。どれほどの復興予算が、除染や開発に流れ、支援には届いていないかということ、住宅支援の根拠になるのは、憲法25条、とくに2項の国の責務について。子どもがいるのに退去しては、それまでの生活が脅かされること、高齢者であれば、生存そのものが危うくなることもある。私たちは、このことを多くの人で共有するために、1人が3人に伝えることを約束してほしい。国に有効な施策を求める一方、もやいの実践例では、地域の中で理解ある大家さんや不動産屋さんの協力を得るなど、地域で仲間を広げる取り組みも必要である、ということを話してくれました。
最後に、瀬戸さんは、SOSを受け止める支援センターを立ち上げ、相談電話を設け、退去に際しては、同席したり、法律家もネットワークに加え、とにかく避難者を孤立させないことが大事、都議会などに声を届け、まず退去通告をさせないことを求めたい、また、自治体議会に意見書の採択について声を上げていくことなど語りました。
会場からも積極的な質問、意見が交わされ、大西さんからぶっちゃけ話も飛び出し、今の切羽詰まった状況に加え、何ができるかの話に多くの参加者が熱心に見メモを取りながら、耳を傾けていました。
http://act48.jp/index.php/8-news/46-20160610r.html
「守ろう、避難の権利 住宅支援打ち切りを許さない! 」原発事故被害者の救済を求める全国運動東京集会を下記の通り、開催いたしました。
「守ろう、避難の権利 住宅支援打ち切りを許さない! 」原発事故被害者の救済を求める全国運動東京集会
【開催日】2016年6月4日(土) 13:30~16:30
【会場】 板橋区立文化会館4F大会議室(板橋区大山東町51-1)
集会参加者: 約200名
【開催日】2016年6月4日(土) 13:30~16:30
【会場】 板橋区立文化会館4F大会議室(板橋区大山東町51-1)
集会参加者: 約200名
尾松亮さんによるチェルノブイリ法の話では、あらためて移住以外にも、「居住リスク補償」という考え方があることに注目し、居住や帰還を選んだら、何も言えない、全て我慢すべし、除染以外の被ばく防御はしない、といった福島の状況とのちがいの大きさの背景に法律があると語りました。
満田夏花さんは、帰還促進政策や健康被害の現状について話しました。 福島県のHPを見ると「復興=避難者の数が減る」という図式ができあがっていること。この夏にも、避難区域の解除が相次いで発表されており、避難区域解除の要件として「20ミリシーベルト以下」「生活インフラの復旧」「県、市町村、住民との十分な協議」とある日本に対して、チェルノブイリでは、「5ミリシーベルト」「避難者の個人の意思」とされていること、形ばかりの説明会をもって協議されたことにされている日本の現状、そして、甲状腺がんが福島県内だけでなく、宮城でも、茨城でも見つかっているとを報告しました。
瀬戸大作さんが、この間の住宅支援打ち切りに向けての、各自治体や東京での状況が簡単に説明し、シンポジウムに入りました。
瀬戸さんによれば、住宅支援解除に向けて、各団地に都の職員や福島県の職員などが出向き、現在、支援を受けて団地に住む避難者を呼び出し、1人の避難者に4人が取り囲むような形で、公営住宅の申込みを迫ったりしてると。(でも、申し込んでも、160倍じゃ入れる気がしませんよね)SOSの声を受ける電話を開設して、各団地での会合に同席したりして、避難者の孤立を防ぐように動いているそうです。
むさしのスマイルの岡田めぐみさんが、東京での避難者には、月に2回郵送で情報が届くけれど、区域外避難者の情報はほとんどなく、自分からネットで情報を探す状況であることが話されました。また、月に一度開いているサロンには、今も初めて足を運ぶ人が来る、5年過ぎても、まだまだこれからだと話しました。
宇野朗子さんが、避難の権利を求める全国避難者の会の活動の中から、一口に避難者と言っても、それぞれの条件や状況の違いも大きく、つながることが非常に難しいこと、でも、だからこそ丁寧につながりつつ、政府交渉のテーブルを考えていることを報告しました。
ひだんれん共同代表の武藤類子さんからは、5月30日に、訴訟原告団全国連絡会とひだんれんで、541名の避難当事者がつながり、住宅の無償提供継続を求める要望書を提出したとの報告がありました。
新潟市議の中山均さんから、新潟県が掲げた独自支援についての説明。自治体独自の施策は、鳥取県や山形県などでも発表されていますが、新潟県でも、民間家賃補助や引越し代の支援などがあげられています。しかし、福島県の支援に対する上乗せである以上、そこから漏れている人には支援できない限界もあること、ただ、柔軟な支援を引き出していける可能性もあると。各自治体に要望を上げていくことで、こうした支援につながる可能性についても語られました。
これまで脱原発でつながった団体間で動くことが多かったけれども、この住宅支援については先達でもあるもやいの大西連さんが登場。どれほどの復興予算が、除染や開発に流れ、支援には届いていないかということ、住宅支援の根拠になるのは、憲法25条、とくに2項の国の責務について。子どもがいるのに退去しては、それまでの生活が脅かされること、高齢者であれば、生存そのものが危うくなることもある。私たちは、このことを多くの人で共有するために、1人が3人に伝えることを約束してほしい。国に有効な施策を求める一方、もやいの実践例では、地域の中で理解ある大家さんや不動産屋さんの協力を得るなど、地域で仲間を広げる取り組みも必要である、ということを話してくれました。
最後に、瀬戸さんは、SOSを受け止める支援センターを立ち上げ、相談電話を設け、退去に際しては、同席したり、法律家もネットワークに加え、とにかく避難者を孤立させないことが大事、都議会などに声を届け、まず退去通告をさせないことを求めたい、また、自治体議会に意見書の採択について声を上げていくことなど語りました。
会場からも積極的な質問、意見が交わされ、大西さんからぶっちゃけ話も飛び出し、今の切羽詰まった状況に加え、何ができるかの話に多くの参加者が熱心に見メモを取りながら、耳を傾けていました。
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