2014/10/04

被ばくで心が血を流した JCO事故15年語り継ぐ/茨城


 茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)の臨界事故から15年が過ぎた。「臨界、被ばく…。その言葉を見聞きするだけで脂汗がにじみ、動悸がした」。JCOの近くで働いていた日立市の大泉恵子さん(75)はそう振り返る。被ばくによる健康不安は消えない。「同じ苦しみをもう繰り返さないで」。原発事故に見舞われた福島の人々に思いを寄せ、事故を語り続けている。
 事故があったのは、1999年9月30日。蒸し暑い日だった。恵子さんは夫の昭一さんと、JCOから約130メートル離れた工場で働いていた。午前十時半ごろ、臨界事故が発生。調査で推定された夫婦の被ばく線量は六・五ミリシーベルトで、健康影響はないとされた。
 ところが、その夜から倦怠(けんたい)感に襲われ、仕事に行けない罪悪感で死ぬことばかりを考える日が続いた。やがて「被ばくによる健康被害の恐怖を心因とした心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断された。昭一さんは皮膚病が悪化。夫婦でJCOなどに損害賠償を求め提訴したが、2010年に敗訴が確定した。
 11年2月、昭一さんは肺炎を患い、82歳で他界した。「臨界事故のことは語ってゆけ。お母さん、頼んだぞ」。病床で最期まで訴えていた。
 東京電力福島第一原発事故が起きたのは、その一カ月後。恵子さんは「臨界事故の教訓が生かされていない」と怒りを感じた。脱原発を目指して署名を集める中で、福島の女性たちと出会った。避難してきた茨城県の病院の待合室で横たわる女性。幼い子どもを連れて避難を続けるお母さんたち。その姿に昔の自分を重ね、心を痛めた。
 夫の死後、経験を語り始めた恵子さん。精神科で処方される薬を飲みながら、講演会などで原子力の安全性に疑問を投げ掛ける。9月28日に東海村で開かれた臨界事故十五周年の集会では、約350人を前にこう訴えた。「事故で生活ががらっと変わってしまった。被ばくで、心が血を流しているんです」

東京新聞
2014年10月2日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014100202000259.html

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JCOの事故からすでに15年。明らかな被ばくがあったにも関わらず、周辺自治体の人たちの被害には、もう光があたらなくなって久しいです。福島第一原発の事故をきっかけに、私たちも再び知ることとなりましたが、原爆だけではない、放射能被害の実態が、日本にはこうしてあったのだと、その事実に学ぶことは多いと思います。こうして被ばくの影響は、精神的なものだとして扱われてきたことは、現在そして今後の福島周辺での扱いを象徴しているかのようです。しかし、この事故のあとの健診体制は、年間1ミリシーベルトを基準に行われてきましたが、福一事故では、福島県内で線を引き、それ以外の地域では、自治体の支援がわずかにある他、国や東電による支援はまったくなされていません。「事故で生活ががらっと変わってしまった。被ばくで、心が血を流しているんです」の一言に共感できる人は多いはずです。

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