2015/03/14

原発避難者の思い<下>暗闇照らす存在に



2015.03.14  神奈川新聞
http://www.kanaloco.jp/article/85436/cms_id/131048


東京電力福島第1原発事故により避難生活を余儀なくされている鹿目久美さん。福島での日常を断たれ、暗闇をさまよい歩くような4年間を経たいま、「月のような存在になりたい」と話す。

3月11日の夜、娘がせっせとペンを走らせていました。はい、と渡された手紙にはこうありました。〈わたしはママがとてもとても大すきです。ママの子どもにうまれてよかった。うんでくれてありがとう〉当時4歳だったけれど、あの日は特別な記憶として小さな胸に刻まれているのだと思います。地震直前の2時すぎまで友達と遊んでいたこと、警察署の前、車で信号待ちしていた時に揺れに襲われたこと、急に辺りが真っ暗になり、雪が舞い、風が鳴り、この世の終わりのような情景が広がっていたこと、いまも覚えていると言います。

ことしで9歳。これからは福島で過ごした日々より、私の実家がある相模原での避難生活の方が長くなっていく。娘は「二十歳になるまで福島には戻らない」と言います。原発で爆発があったことを知らず、放射性物質が降り注ぐ中、外出してしまっていた。やがて鼻血を出し、高熱を出し、精神的にも不安定になり、明らかに様子がおかしかった。感覚的に子どものうちは離れていなければいけないと感じているのでしょう。

一方、「二十歳まで戻らない」は裏を返せば、福島のわが家が「いつか帰る場所」であり続けていることでもある。夫も仕事をしながら一人残っている。避難をめぐって考えの違い、離れ離れになったことによる心のすれ違いから夫婦の間には溝ができてしまったが、娘にとって父親であることは変わりがない。せめて福島の思い出を汚さぬよう、できることをしていきたい。

でも、将来の不安は尽きません。いつか病気になるのではないか。娘が大丈夫でも、娘が産む子どもはどうか。検査をしていま異常が見つからなくても、被ばくの事実は消えない。被ばくするとはそういうことなのだと思い知らされました。差別を受け、好きな人と結婚できないということがないよう、何ができるのか考えていきたい。

◆感情
福島の現状と避難者の苦しみを知ってもらいたい。これ以上、同じような苦しみを味わう人がでてほしくない。その思いで語り部の役回りを続けてきました。話し終えると、さまざまな感情が湧き起こります。

避難者である私が困難を抱えながら前向きに生きているという話を聞き、逆に励まされた、という人がいる。そんな時、どうして私が人を励ましたり、癒やしてあげたりしなきゃいけないのかと思ってしまいます。望んでそうした困難を抱えたわけではないので。

私が話をして何になるのかという疑問もよぎります。私は避難者の一人にすぎない。10万人の避難者がいれば、10万通りの苦しみがある。だからすべてを知った気分にならないでほしいと伝えるようにしています。特に大きな会場で、壇上から大勢に向かってしゃべるような場合、そうしたもどかしさを覚えます。

こうして取材を受けていてもそうです。私はかわいそうな存在で、だからこう答えるだろうということを期待されている。たとえば原発の汚染水問題では、避難者としての怒りのコメントを引き出したいのでしょう。でも、そんなに単純じゃない。

みんなはどうしてのんきに怒れるのかと思います。怒るという感情は何かを期待し、信じていたものが裏切られた結果でしょう。こちらは、いまさらどうして信じられるのかというのが正直なところです。

そもそも、と私は考えます。まるっきり被害者のように語っていますが、果たしてそうでしょうか。たとえばあの日、あの揺れを感じ、原発のことが頭に浮かべば、ただちに福島を離れてもよかった。そこまで考えが及ばなかったのは、知識がなかったから。ラジオは聴いていたけれど、原子炉建屋が爆発したことに気づかず、子どもと一緒に外出し、被ばくさせることにつながった。知っていれば違う選択があった。それは原発問題自体もそう。原発が日本に50基以上ある。それがどういうことかを知っていれば、世の中が違う方向へ動いていた可能性だってある。被害者ではあるけれど、同時に加害者のようなものでもあると思うのです。

◆弱さ
私の経験を生かすことができて、本当の意味で必要とされる存在になりたいと、ずっと思ってきました。そこで始めたのがカウンセリングの勉強です。昨夏から養成講座に通い始め、4月からカウンセラーとして働き始めます。

こういう立場になってよく分かってきたのは、大変なのは私だけじゃないということです。それぞれに抱えている困難さがある。しかもいま、それを口にすることが難しい時代にある。甘えている、わがままだとバッシングされてしまう世の中です。つらさの度合いは違えど、弱音を吐く場が必要だと感じてきました。それにはまず、自分自身が駄目さ加減をさらすことが必要なのではないかと思う。

被害者でありながら加害者である自分。人の役に立ちたいと願いながら、人を励ますことなどしたくないと落ち込む矛盾。そんな駄目な自分は、みんなの力を借りることでなんとかやっていけている。それを認め、初めて言葉が人の心に届く。自分も口を開いてみようと思ってもらえる。

私は太陽ではなく、月のような存在になりたいのです。太陽は誰もが憧れるまぶしい存在ですが、暗闇で迷子になっている足元をそっとともす月明かりになりたい。月は満ちているときもあれば欠けているときもある。その欠けている、不完全であることに意味がある。そうであればこそ、こう伝えることができるはずです。満月となって輝いているばかりじゃない。欠けていて完璧じゃなくても、そこにそっと存在しているだけでいいのだ、と。私は暗闇でこそ必要とされたい。私自身がこの4年間、そういう存在を求めてきたから。

地に足の着かない避難生活で、思えば数カ月先のことさえ見通せない日々だった。それがこの先ずっと続けていくであろうカウンセラーの勉強をしている。原発事故でねじ曲げられた私の歩みも、その意味では少しずつ前に進み始めているのかもしれません。


避難者としての思いを語る鹿目さん




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