きょう28日に、南相馬の特定避難勧奨地点が住民の強い反対にも関わらず、強制解除されてしまいました。このことが発表されたのは、21日。FoE Japanなどからの呼びかけで、26日には緊急集会が開かれました。南相馬からも当事者である行政区長さんなどが議員会館に駆けつけ、年末にも関わらず、このあまりに酷い行政措置に多くの市民が会場に駆けつけました。
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ママレボ通信より抜粋
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民主主義はどこへ?――強制解除される南相馬市・特定避難勧奨地点
いまだに10μSv/hを超えるホットスポットが点在する南相馬市は、帰還困難・居住制限・避難指示解除準備区域・特定避難勧奨地点が混在する地域です。自主的な避難も含め、いまなお2万人以上が避難しています。2014年10月に指定解除を発表した政府に対し、説明会で発言した住民のすべてが反対意見だったため、10月内解除はいったん延期されていました。その2か月後の12月21日、南相馬市で行われた住民説明会で、一方的に解除することが告げられました。
◆撤回要請集会―「補償の問題ではない。行政区長には、住民を守る責任がある」
住民説明会から5日後の2014年12月26日、参議院会館にて、南相馬市特定避難勧奨地点、指定解除の撤回要請集会が緊急にひらかれました。民主的ではないやり方での指定解除に反対し、避難勧奨の継続と新たな地域指定を求める集会です。(中略)南相馬市を朝6時に出発し、駆けつけたのは、行政区長、民生委員、避難中のお母さんなど、8名の住民の方でした。
南相馬市原町区の元行政区長でもある、遠藤八郎さんは「我々は、孫に『古き良き日本』を教えたかったのに、いまは『原発は恐ろしい、放射能は危険だ』ということを教えなくてはならなくなった」と話しました。
また、大谷地区の行政区長の藤原保正さんは「応急仮設住宅の供与の延長をまだまだしてくれなければ、帰還せざるを得なくなる。補償だけの問題じゃないんですよ。補償がほしくて行ってるんじゃないんです。住民の命を守る行政区長に、我々に責任があるんです」と話しました。
また、同じく元行政区長の佐藤光孝さんは「『安心だから避難指示を解除する』という一方で、『(放射能が危険だから)枯草は燃やしてはならない』という。そこも矛盾しているのではないか。山の仕事も、孫のために残そうとも思わなくなった。30年後を夢見ているが、なんだか儚い」と話しました。
新潟の避難先から会場にかけつけた杉由美子さんは、以前は、南相馬市原町区で酪農を営んでいました。「農業を勉強している長男が、いつかどこかで私たち親を呼んで一緒に酪農できたらいいね、と話してくれている。解除と言われると、どう生活していっていいのか不安でいっぱい。まだ教育にお金がかかる子どももいるので、どうしていいのかわからない」と涙ながらに訴えました。
(続く)http://momsrevo.blogspot.jp/2014/12/blog-post_28.html
子ども全国ネット運営スタッフより
「12月28日、福島県南相馬市の特定避難勧奨地点が強制解除されました。その前の26日、朝早く南相馬や避難地から出てこられた住民の皆さんが、指定解除の撤回を要求。しかし、その必死の声は届かず。昼の集会で、『これからどう生活していったらいいのか』と涙ながらに語った女性の、高校生の娘さんが夜の抗議集会でマイクを持ちました。そのときの言葉が、胸に刺さっています。『子どもでも、わかります!』。彼女から見ても、政府の言動は大人気ないと。解除を決定した人の気持ちは? いったい、何を大事と思っているのか? あきらめずに、そこから対話を始めなければ。」(吉度)
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