2014/12/07

衆院選 自主避難者の声を聞いて 住宅無償提供、迫る期限 長期間の支援要望

 東京電力福島第1原発事故から間もなく3年9カ月。今も約4千人が福島県から本県に避難している。そのうち自主避難者は半数近い約1800人に上り、その多くは自分たちが支援の枠外に置かれていると受け止めている。国が原発の再稼働を進める中、自主避難者は事故後2度目となる衆院選に「候補者は私たちのことを忘れてはいないか」と厳しい視線を注ぐ。

 福島県いわき市から小学生の2人の娘と新潟市に避難している女性(46)は当面、福島県に戻れないと思っている。放射線の健康への影響に不安があるからだ。
 女性は東電から2回だけ金銭による賠償を受けたが、地元に夫を残し、二重生活を送るだけに「家計は苦しい」と打ち明ける。福島で娘たちに英語とピアノを習わせていたが、家計を切り詰めるため、避難後は続けさせられなかった。
 厳しい生活が続く中で始まった衆院選の公示日。安倍晋三首相(自民党総裁)と民主党の海江田万里代表が福島県の被災者の前で復興への取り組みを訴えた。街宣の様子をテレビで見た夫から電話で聞いた限りでは「福島を離れた避難者はこのまま放っておかれる」と感じた。  

 福島市から新潟市に子ども3人と避難している女性(37)は自主避難者の声が国政に届いていないと感じている。「子ども・被災者支援法」の基本方針で、多くの自主避難者が求めていた「住宅の長期間無償提供」支援策が盛り込まれなかったためだ。
 女性は支援法の成立当時、「自主避難者への支援拡大をすごく期待した」と振り返る。基本方針の決定前、国はパブリックコメントを募集し、女性も思いを伝えた。しかし、期待は裏切られた。現在新潟市で住むアパートは福島県が借り上げている。家賃の負担はないが、16年3月までの入居期限が迫る。子どもは小学生と幼稚園児。「子どもの手がかからなくなるまでは先が長い。安定した生活をするためにも5年や10年の期間が必要」と考える。
 事故後、新潟市内の避難者交流施設で国会議員と直接話す機会はあったが、思いは国政に届かないまま。「『自主』かどうかにかかわらず、避難者を支える仕組みが欲しい」と願う半面「もう声を上げるのは疲れた」とも感じる。
 本県は、東電が再稼働を目指す柏崎刈羽原発がある。原子力規制委員会による新規制基準への適合審査が進む。女性は福島事故がなかったかのような空気が広がっていると感じる。
 「候補者には事故で普通の生活を奪われた私たちのことを考えてほしい」と力を込めた。

 <子ども・被災者支援法> 2012年6月に成立。福島第1原発事故による自主避難者を含めた被災者支援を定め、議員立法により、衆参両院で全会一致で可決した。原子力政策を推進してきた国の社会的責任と今後の財政支援を明記。一定の基準以上の放射線量が計測される地域に住んでいた人らに対し、居住、移住、帰還のいずれの選択も尊重した上で、支援することなどが基本理念。具体的な支援内容を決める基本方針は13年10月にできたが、支援の対象となる地域が限られ、長期的な住宅支援策は盛り込まれなかった。

2014/12/06
新潟日報
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20141206149755.html



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