2014/12/21

原発事故45カ月 7カ月後、福島市から子どもと自主避難/栃木

 喪失感と引け目越えて 
   分け隔てなく「母の会」

 東京電力福島第1原発事故の7カ月後、ローンが10年以上残るマイホームを福島市に残し、大山香さん(49)は宇都宮市の借り上げマンションへ家族と避難した。小学生の子ども2人の将来を考えての苦渋の決断だった。引っ越しから3年以上たった今も胸につかえて消えない思いがある。「避難指示区域外から自主避難した私たちは『勝手に逃げた人』なのだろうか」

 2011年夏。窓を閉め切った小学校の教室はサウナのように暑いのに、表土除去が済んでいないため子どもたちは屋外活動を制限されていた。

 そんなある日、長女(12)が摘んできた四つ葉のクローバーをうれしそうに食卓に置いた。放射性物質に汚染されているかもしれない。胸がキリキリ痛んだ。ふと気付くと、体力が落ちた子どもたちは鉄棒の逆上がりもできなくなっていた。夫婦で話し合い、夫が職場を変えずに通勤できる宇都宮市へ避難した。

 週に数回、同じ避難者宅を訪問する活動に参加するようになり、気付いたことがある。自主避難している母親の多くは、強制避難をさせられた人たちが開く交流会に参加することをためらっていた。「私たちは『自己責任』で避難した立場。古里に戻れない人たちに交じっていいのか」。多くは相談相手もなく孤立感を深めていた。

 訪問活動の中で、子ども3人と自主避難した女性と出会った。ストレスから胃にポリープができて、睡眠障害に陥っていた。「故郷を離れざるを得なかった喪失感は皆、同じ。自主避難も強制避難も分け隔てなく集まって悩みを打ち明ける場を作ろう」。昨年、「栃木避難者母の会」を設立した。お茶会やメークの講習会などに毎回約10人が集まり、和やかな時間を過ごす。

 福島の自宅周辺の放射線量は、原発事故直後と比べればはるかに低くなり、安全なレベルとも言われる。だが、宇都宮と比べれば値は1桁高い。

 長男の誓吾君(10)は「いつ福島に帰れるの」と、古里を恋しがる。そのたびにビクッとしながら「そうだね。いつか帰ろうね」と答える。「お母さんを信じている」と誓吾君。この言葉を支えに、これからも悩みを抱える母親たちの声なき声に耳を傾けようと思っている。

http://mainichi.jp/shimen/news/20141221ddm041040095000c.html
毎日新聞 2014年12月21日

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