[避難者への情報提供にかかる予算は、すべて帰還の名目になっているもののはずです。現場に立つ人の力量や考え方によっては、避難者の選択を尊重するスタンスでの支援が可能になっているとは思いますが。
この中で登場するサロンは、まったく民間で立ち上げたものと言います。本来、避難先にあたる現在の居住地で、子育て支援なり、住民のよろず相談なり、何らかの窓口からしかるべき機関につなげるなどして支援が行われていくことが、長く続く放射能汚染からの避難の場合には必要かもしれません。
そして、行政、民間どちらにしても、あくまでも、この国の法律である「原発事故子ども・被災者支援法」の理念にのっとって、避難する人、居住する人、帰還する人、どの人の選択も尊重されるような姿勢での支援が望まれます。]
あぶくま抄・論説
東京電力福島第一原発事故に伴い首都圏に避難している県人の相談に応じるため、南相馬市の女性が東京都目黒区につくった「ママ応援サロン&学び舎 番來舎」が開設一カ月を迎えた。活動は緒に就いたばかりで今後の成果に期待したい。行政、団体から支援を受けず独力で始めた気概にも頭が下がる。
開設したのは、市民団体ベテランママの会代表の番場さち子さん(53)だ。学習塾を営み父母の相談に応じてきた経験を生かし、自主避難者などに向き合ってきた。喫茶店などでは、相談者が周囲の目を気にせざるを得ないため、拠点を設けた。
頻繁に上京する。助言することはあるが、基本的には不安や悩みに耳を傾ける傾聴活動だ。避難者の中には福島を離れたことで「とがめられている」との思いを感じている人が少なくないという。会話が3時間に及ぶこともある。泣いてしまう人もいる。相手の身になり、気持ちを和らげることに心を砕く。
本県や日本への偏見にもあらためて気付かされた。大学に進学した息子が放射能を理由に敬遠されている、と母親から相談された。なまりやイントネーションの不自然さも指摘された。大学という最高学府にあって信じられないことで、耳を疑った。
千葉県に住む女性は、娘を外国に嫁がせた。しかし、夫の両親は、被ばくを恐れ里帰りを許さない。「わが子にも、孫にも一生会えないのだろうか…」。女性の嘆息に、同じ日本人として胸が締め付けられる。
番場さんは言う。「福島の人が気軽に集まって、つながりが生まれる居場所になればいい」。サロンは東大に近い、閑静な文教地区にある。有名シェフを招いた食育講座などの催しも企画している。連絡を取り、足を運んでみよう。交流の輪はきっと広がっていく。
都内で避難生活をしている県人は約6千人に上る。県当局は、県避難者支援課の職員二人を都庁への常時出張態勢にしている。11月からは戸別訪問を始めた。大震災後、無我夢中で避難した県民の多くは今、落ち着きを取り戻しつつある。しかし、将来への不安は消えない。職員は悩みが少しでも和らぐよう、腐心する。昼夜を問わない業務に敬意を表したい。
年の瀬、古里を離れ新年を迎える人たちの望郷の念はいかばかりか。県や市町村は避難者への温かい目線を持ち続けてほしい。ハード面の復興はもちろん大切だ。が、心のケアも同じように求められている。
http://www.minpo.jp/news/detail/2014122019943
2014/12/20
福島民報
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