2015/03/05

栃木/子の命守る、声あげる母 避難者や県北、戦い続く

2015年3月 5日 朝日新聞 
http://apital.asahi.com/article/local/2015030600015.html
 
「子どもたちの命を守らなければいけない」――。東京電力福島第一原発の事故の知らせを聞き、「本能のようなもの」に突き動かされて、福島県から母子が宇都宮市に避難してきて間もなく4年。埋もれがちな避難者の声を発信しようと奮闘している。

県内に避難した女性たちの証言集「原発避難を語る――福島県から栃木県への避難の記録――」の完成報告会が2日、宇都宮市の宇都宮大学で開かれた。会場には、証言集の編集に関わった栃木避難者母の会代表の大山香さん(49)の姿もあった。大山さんの実家は福島県富岡町。福島第一原発の南に位置する町の大半は、年間放射線量20ミリシーベルト超~50ミリ以下の「居住制限区域」。北東部は同50ミリ超の「帰還困難区域」になっている。ふるさとは失われてしまった。

原発事故が起きた当時、大山さんは夫と子ども2人と福島市に自宅を構えていた。長女は小6、長男は小4。放射能という見えない恐怖に、大山さんの不安は日増しに膨らんでいった。いとおしく四つ葉のクローバーを摘んでくる長女に「だめっ!」と声を荒げたこともあった。「子どもたちの命を守らなければいけないという、母というか女の本能のようなものがあった」と大山さん。国からの避難指示はなかったが、母子3人で宇都宮市に自主避難した。その後、大山さんの夫も宇都宮市に。家族4人の生活に戻ったが、福島へは戻る気になれないままだ。

事故から4年。「避難したお母さんたちの声がますます聞こえにくくなった」と大山さんは心配する。把握しているだけで昨春まで十数組の母子が県内で暮らしていたが、うち5、6組は地元に戻ったという。背景には精神的なつらさがある。「放射線の子どもへの影響を心配していることを相談する相手がみつからず、悩みを抱え込んでしまうお母さんが少なくない」と大山さん。

今回の証言集を手がけた福島乳幼児・妊産婦支援プロジェクト(FSP)のメンバーで宇都宮大学国際学部の清水奈名子准教授も「表面化しにくい母親の声もすくい上げたかった」と話す。FSPは事故後、ママ茶会などのイベントを通じ、埋もれがちな母親の意見や声を反映できる場づくりに取り組んできた。

避難者に限らず、同じ思いを抱く県内の母親もいる。那須塩原市の「那須塩原 放射能から子どもを守る会」代表の手塚真子さんもその一人。県北地域が放射線量が高いことから危機感を抱き、2011年6月に会を結成。市に対し、学校などの表土除去と汚染マップ作成を求めて9千人の署名を提出した。今も勉強会や座談会を続けている。

「国の借金が問題になっていますが、子どもにとって放射能は国の借金以上に大きな借金です」。市に対して今年6月、市民の甲状腺エコー検査を実施するよう求める要望書を提出する準備を進めている。大山さんや手塚さんの活動はすべて手弁当。命を守りたいという母親の戦いは終わらない。

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栃木避難者母の会の問い合わせはホームページ(http://ameblo.jp/tochigihinan/)か、メール(phkhn641@yahoo.co.jp)へ。


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