2015/03/07

放射線の恐怖根強く=「諦め」「子ども守る」-古里に見切り、移住決断



2015/03/07 時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015030700105

 東京電力福島第1原発事故から間もなく4年。福島県外での避難を続ける一部の人は、生活の場再建を優先し、不安を抱えながらも新たな生活に踏み出している。
 ◇放射線への恐怖
 鈴木直清さん(63)は事故後、同県南相馬市から埼玉県鳩山町に避難。「親戚や若い人も去り、生活環境が壊されてしまった。ダムに沈む放射性物質も怖い」と、古里に戻る気はないと言う。
 既に定年を迎え3人の子供は独立。同町に隣接する坂戸市内に約40坪の土地を購入した。近隣には若い世代が多く、「うまく溶け込めるか心配だが、新しい生活を一歩一歩前に進めていきたい」と、8月の新居完成を心待ちにする。
 福島県富岡町から避難する50代の女性は「放射線の健康被害が不安で帰りたくても帰れなかった」と明かす。老後のための貯金を取り崩し、東京都八王子市にマンションを購入したが、富岡町の自宅は約20年のローンが残る。
 同町から埼玉県久喜市に避難中の木幡日出夫さん(65)も、市内に2世帯住宅を建て、息子夫婦と住む予定だ。生活費のため町の復興支援員として働くが、再就職できない知人もおり、「避難先でも雇用環境を整備してほしい」と要望する。
 ◇「原発あるうちは無理」
 「諦めムードだな」。同町から東京都中野区の都営住宅に避難している深谷計さん(88)は複雑な表情を浮かべる。自宅は第1原発から約10キロ。外壁に大きな被害はなく、当初は「修理すればまた住める」と考えていた。しかし、避難が長期化するにつれ「原発のあるうちは無理だ」との気持ちが強くなった。
 住み慣れた富岡に戻りたいが、「私らも年だし、みんなで一緒に住むのが一番」。長男が今秋、福島県いわき市に建てる家に移り住むと決めた。
 那覇市で暮らすパート従業員神野律子さん(42)が、同県郡山市からの自主避難を決心したのは事故発生の8カ月後だった。線量計の数値に神経をとがらせ、長男の優真君(7)を外で遊ばせられなかった記憶は鮮明だ。「不安はない方がいいですよ。取り越し苦労だと言われるのかもしれないけれど」
 避難先の家賃を行政が負担する借り上げ住宅制度が来春に終了する。神野さんは「自己負担してやっていけるか…。東京にいる夫とも、まだあまり話し合っていません」と顔を曇らせた。

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