2015/03/02 日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO83702130W5A220C1000000/
放射性物質のため摂取が制限されている野生のイノシシやキノコを食べてもいいのか。きわどい問題意識を掲げたシンポジウム(日本サイエンスコミュニケーション協会主催)が2月3日、福島県伊達市で開かれた。背景には地域の食文化を守りたいと考える人々の切実な気持ちがある。議論の結果、摂取制限の取り下げを内閣府の食品安全委員会に求めることになった。主催者側にとって意外な結末だったようだ。
■強要しない、流通もさせない
この「地域シンポジウム」は、NPO法人りょうぜん里山がっこうの校舎で夕方から開かれた。里山がっこうは使われなくなった小学校の校舎を利用して、体験学習の活動に取り組んでいる団体だ。
パネリストにポーランド国立原子研究センターのルードヴィーク・ドブジンスキ博士、相馬中央病院(相馬市)の越智小枝・内科診療科長、福島県田村市内で歯科クリニックを営む博多美保子氏がパネリストとして参加、地元で地域コーディネーターとして活動する半谷輝己氏が司会した。さらに福井県立大学の岡敏弘教授(経済学)と東京慈恵会医科大学の浦島充佳教授(小児科医)がビデオメッセージを寄せた。40人ほどの住民が集まったごく小さな催しだ。
冒頭で、司会の半谷氏は1つの提案を示した。「出荷制限を厳守しつつも、地元でとれた山菜やキノコ、イノシシ、川魚などの摂取制限を緩和してもよいのではないか」
食品中の放射性物質(放射性セシウム)に関しては、一般の食品について1キログラムあたり100ベクレル、乳児用食品や牛乳については同50ベクレルの基準値があり、これを超えるものは市場に流通しないよう出荷制限がかけられている。
これに加え福島県内の市町村では、原子力災害対策特別措置法に基づき住民が捕獲した野生のイノシシや採取した山菜など、市場には出回らない自家消費に対しても口にしないよう摂取が止められている。
半谷氏の提案はこの摂取禁止を緩め、1キログラムあたり1000ベクレル(子どもは同100ベクレル)までなら食べてもよいことにしようというものだ。
もちろん汚染の状況を計測したうえ、自らの判断で食べるもので、食べたくない人に強要するものではない。流通もさせない。
とは言っても「なぜリスクを冒してまで食べたいと考えるのか」「そんな基準が必要なのか」というのが多くの人の反応だろう。記者も最初に耳にしたときは「なぜ」と思った。集まった人たちの話を聞くうち、少し疑問が解けたように思った。
川内村でイワナなどの調査を続けている人はこう話した。「同じ川でも釣る場所によって放射性物質の濃度は違うし、えらと内臓など部位でも違う。食べ方を工夫すれば食べられる。里山の資源であるキノコや山菜は採ってきて人にあげたり、自分で食べたりすることに生きがいや楽しみがあった。食べられないことが地域のストレスになっている」
伊達市在住の別の人はこう言う。「秋の運動会には子どもたち、お父さん、お母さん、祖父母ら家族そろって、『いのはな(猪鼻)ご飯』を食べた。私たちの食文化の一部だった」。猪鼻(香茸=こうたけ)は福島の山で採れるキノコで、混ぜご飯などにして食べる習慣が古くからあるという。「(キノコ類は)旬の時だけ食べ、食べても量は知れている」と話す。
■「食べたいから放射能を測ってほしい」の声
原発事故直後から食品の放射能計測活動を続けてきたいわき市の男性は「最初は不安から測定し、(国の基準を下回る)数ベクレルまで丁寧に測ってきた。測った上で食べたい人は食べてきた。4年間で変化を感じたのは、3年目あたりから食べたいから測ってくれという人が増えた。(体内の放射性物質の量を調べる)ホールボディー・カウンターの検査を定期的に受け、自分で管理しながら食べていけばよい」と話した。
パネリストの博多氏は、歯科クリニックを訪れる患者さん約60人に話を聞いたら「安全なら食べるという人がおよそ3分の1いた」と、自ら手掛けたアンケート調査の結果を披露した。
越智氏は「リスクは避けるのではなく選ぶ」と語った。放射線を心配するあまり外出を控えたり魚や野菜を食べないなど食生活が変わってしまうと、「放射線とは別の健康を脅かすものを見落としてしまう」と注意喚起する。健康診断の結果から仮設住宅に住む人は肥満や高血圧、糖尿病になりがちで、片足立ちテストからころびやすい傾向もみえるという。骨粗しょう症や骨折で寝たきりになるリスクは「発がんリスクより高い」と述べた。
集まった人たちは四季折々の里山の実りとともに生活してきた思いを口々に語った。地域の伝統を大事にしたいとの願いが、摂取が制限された食品をあえて食べたいと考える背景にある。
ただ郷愁や感傷だけからでないことも議論の中ではっきり感じ取れた。思い通りにならない生活を強いられていることへの怒りや、善意の助言であっても地域外の人たちから自分たちの生活が干渉をうけることへのやり場のない悔しさがある。
川俣町在住の男性は「制限をなくして自由にしてほしい」と語り、別の人は「1000ベクレルといった摂取基準を設けると、それが一人歩きする。基準は福島県だけの話なのか。全国で決めるならいいが、福島だけにあてはめるのは納得できない」などと主張した。コメの全袋検査をはじめ、福島県産の農作物は厳しい検査を通過して市場に出回っているが、値段は原発事故前の水準に戻らない。福島県産への不当とも思える扱いがこうした発言につながる。
2時間を超える議論の終わりで、司会者が決を採った。当初提案された1000ベクレルの基準設定は同意を得られず、「摂取制限の撤回を求める」ことで参加者の意見は一致した。自主的な判断で食べてもよいことにせよとの主張だ。
「意外な着地点だった。そこまでいくとは思っていなかった」とコーディネーターの半谷氏はまとめた。この結果は食品安全委員会などに要望として提出するという。
■取材を終えて
議論の過程で、異論や懸念の表明がなかったわけではない。
「子どもががんになるのではないかと心配している母親に摂取制限の話をしても、不安解消には遠い」「周りで言われることが一切信じられないという人は、県外産の食品を選び続ける」「自宅に帰りたくても帰れない人がたくさんいて、住民の間で(考え方に)格差ができてしまった」。シンポジウムで語られたことが同じ福島県内でも理解されない恐れがあることを、参加者たちは認識していた。摂取の解禁が出荷制限の緩和と誤解され、風評を招く恐れもあるのではないかと記者も懸念を持った。
ビデオメッセージを寄せた岡敏弘教授は、リスクを比較する手段として「損失余命」という考え方を説いた。被曝でどれくらい余命が短くなる可能性があるのかを理論的に計算するものだ。例えば1キログラムあたり2400ベクレルのキノコ10グラムを使った「いのはなご飯」を食べると、損失余命は約7秒になる計算だという。自動車運転のリスクは10キロメートルで21秒程度だという。
岡教授はこうした物差しが「合理的な行動に結びつくのではないか」とした。これに対し参加者からは「わかりやすくていい」と前向きな意見も出たものの、「計算の根拠がよくわからない」と納得しない人もいた。
パネリストのドブジンスキ氏も「普通の人が理解する手助けになるなら有用かもしれないが、科学ではなく心理の問題だ」とやや批判的だった。一般論としてリスクを比較する指標にはなるように思えるが、きちんと理解して利用しないと誤解を増幅しかねないだろう。
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