2015年3月3日 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20150303/CK2015030302000187.html
東京電力福島第一原発事故から四年を前に、県内に避難した人々の証言集「原発避難を語る-福島県から栃木県への避難の記録-」が完成した。編集に関わった宇都宮大(宇都宮市)の教職員や学生、避難者らは二日、大学内で完成の報告会を開き、当事者の苦しみを語り継ぐ決意を新たにした。
証言を寄せたのは、福島県飯舘村や浪江町など七市町村から避難した女性七人。家族を福島に残して避難していることへの自責の念や、幼子を抱えて親戚宅に身を寄せ、神経をすり減らした経験などが、約八十ページにわたってつづられている。
証言集作りを提案したのは、避難した女性らによる「栃木避難者母の会」代表で、福島市から宇都宮市へ避難した大山香さん(49)。会員の深刻な悩みを聴くうち、こうした声を社会に伝える必要性を感じ始めた。
事故後、避難者への聞き取りを続け、母の会とも交流のあった宇都宮大国際学部の清水奈名子准教授は、大山さんの思いに賛同。昨年四月、清水准教授ら教職員と、母の会の計五人で編集作業を始めた。学生有志も、避難指示の範囲を示す地図など、必要な資料作りを担当。証言と資料を一冊にまとめ、二月末に完成させた。
この日の完成報告会には、資料作りに関わった学生六人も参加。証言集の中で特に印象に残った部分を挙げ、感想や問題意識を発表した。ペルー出身で大学院国際学研究科一年のコハツ・ホセさん(30)は、二本松市から避難した三十代女性の声を取り上げた。避難先の親族宅で、親族に「いつまでいるのか」と聞かれて傷ついたという部分を紹介し、「たとえ親族同士でも、避難のつらさを分かり合うことがこんなに難しいとは」と語った。
国際学部一年の佐藤春菜さん(18)は、田村市から避難した四十代女性の「原発事故を通じ、誰かの犠牲の上に成り立つ豊かな暮らしに疑問を持つことができた」という証言を選び、「私たちが当たり前に使っていた電気は、福島の安全を犠牲にして送られてきていた。原発事故を自分の問題として捉えたい」と話した。
報告会で清水准教授は、「避難者という言葉ではひとくくりにできない、多様な苦しみがあった」と調査を振り返り、「こうした声を残さなければ、将来、被害がなかったことにされかねない」と、証言の重みをかみしめた。証言集は二〇一五年度、原発事故を題材にした宇都宮大の授業「3・11と学問の不確かさ」の教材としても使用される。
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